【西原亀三日記 (京都女子大学研究叢刊 ; 8)】昭和58年
(昭和13年)五月十三日
峰温泉を辞し、
稲田町役場を訪ひ、
故田村翁時代の現状を聴取し、
呆然たるものあり。
更に岡崎氏経営の光村を視察せるも
亦た甚た振はさるものあり。
伊東に於て尾上良一を療養所に見舞ひ皈東す
https://dl.ndl.go.jp/pid/12189811/1/325
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東京第一陸軍病院伊東轉地療養所第六分室
伊東には陸軍療養所がなく旅館を軍で借り受け
【陸軍病院】昭和16年(1941)

臨時東京第一陸軍病院伊東臨時転地療養所
【将校患者:敗戦前後の日記から】昭和40年(1965)

第一陸軍病院伊東轉地療養所
【茶業界 32(12)】昭和12年(1937)

東京第一陸軍臨時伊東轉地療養所
【銃後の横浜 : 皇軍慰問号】昭和13年(1938)

伊東轉地療養所
【吉川中佐偲草】昭和13年(1938)
【財團法人偕行社社員:
 昭和十三年十一月改刷(十月上旬調)】

東京第一陸軍病院臨時伊東轉地療養所
【黒船 17(12)】昭和15年(1940)
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【交通と電気 8(9)】昭和4年(1929)
出版者   電通社
出版年月日 1929-09
◎鐵道改良工事繰延べ個所
鐵道省に於ては
昭和四年度工務關係改良工事指定豫算の
各局所に割當たが
改良費減額のため
工事繰延べの余儀なきに至つたものは
左の如くである
東鐵局
稻毛本千葉間直通線新設
古河間々田間信號所新設
間々田小山間信號所新設
伊東療養所新設
https://dl.ndl.go.jp/pid/1505861/1/56
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【陸軍病院】昭和16年(1941)
著者    緒方文雄 著
出版者   講談社
出版年月日 昭和16
熱海療養所への患者は熱海で下車し、
私達はそのまゝ伊東に直行した。
伊豆半島東海岸に沿つて、
東京より三時間近くにして、
轉送列車は伊東驛に滑り込んだ。
驛頭に立つと屋根を越えて波頭が白く見え、
天城の連山が伊豆半島一杯に廣がり、
裾長く尾を引いて靜かだつた。
病院自動車で街を通ると、
既に白衣患者の姿が見受けられる中を、
私達六名は、
先ず本部に寄つて療養所長に申告をなし、
それよりいよいよ伊東館に向つた。
橋を渡つて伊東館につく。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1134824/1/126
古風な門を入ると先づ、
東京第一陸軍病院伊東轉地療養所第六分室
と記されてあつた。
伊東には陸軍療養所がなく旅館を軍で借り受け、
療養に專念させてゐるのである。
指定された三階の部屋にはいる。
三號室と書かれた定員二人らしい。
・・・
私の部屋は新館らしく、
山内中尉の入つた棟は舊館らしい。
・・・
こゝは將校患者のみであり、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1134824/1/127
この療養所は大體三箇月を限度として
患者は退所病院に歸るやうになつてゐた。
・・・
伊東温泉町には
軍事保護院の醫療保護施設として、
傷痍軍人伊東温泉療養所があつた。
※昭和14年(1939)12月2日開所式
こゝは一等症で兵役免除になつた者が、
温泉療養によつて、
傷病を癒(なお)す爲のものであり、
無料で治療出來るばかりか、
入所退所には必ず旅費を支給するのだつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1134824/1/135
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【将校患者:敗戦前後の日記から】昭和40年(1965)
著者    田辺重信 著
出版者   金剛出版
出版年月日 1965
前の応召の時、
臨時東京第一陸軍病院伊東臨時転地療養所
で勤務したことがあるが、
その時は旅館八軒を借りて療養所に仕立て、
白衣の患者を扱っていたのだったが、
ここの吉奈療養所の構成は、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1672498/1/131
「豆腐屋旅館」と、私の入った
「さかや旅館」の二軒だった。
もっともここにはこの二軒きり旅館はないのだった・
https://dl.ndl.go.jp/pid/1672498/1/132
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【ソ満国境近し】昭和15年(1940)
著者    田辺重信 著
出版者   博愛発行所
出版年月日 昭和15年12月
(昭和15年)二月十七日(土)、
前任の思出深い
臨時東京第一陸軍病院を訪ねた。
伊東療養所で一緒だつた面々、
今では本院へ復歸して居る
經理の佐藤さんや長曹長、
庶務の笠松准尉や西山曹長などに
會ふ事が出來た。
夏目大尉殿にも御目にかゝた。
高知陸軍病院へ應召された敎室の
岩原寅猪先生がこちらへ轉任され、
益々靈妙の手腕を振はれ
白衣勇士の絶大なる賴りとなつて居られた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1130873/1/115
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【伊東案内記】大正11年
著者    竹下浦吉 編
出版者   文泉堂書店
出版年月日 大正11
 玖須美温泉
暖香園(電話 十八番)
伊東館(電話 十七番)※将校専用
大坂屋(電話二十二番)
櫻 屋(電話 二十番)
松林館(電話四十五番)
港 屋(電話  八番)
扇 屋(電話 百六番)
東 屋(電話百十五番)
 p21【伊東案内記】大正11年
p21【伊東案内記】大正11年
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【温泉の伊豆 第2号】昭和3年
著者    静岡県温泉組合聯合会 編
出版者   静岡県温泉組合聯合会
出版年月日 昭和3
暖香園(電話 十八番)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/55
大阪屋
猪戸館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/56
伊東館
伊東温泉 温泉プール
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/57
大東館
東京館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/58
カタナヤ飯田 舊朝鮮總理大臣 別邸跡
山藤・松川館・東海館・枡屋・辰太
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/59
伊豆伊東温泉旅館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688165/1/60
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【伊豆半島めぐり:丹那隧道開通記念】昭和9年
著者    東京鉄道局 編
出版者   東京鉄道局
出版年月日 昭和9
地図:左 松島館 右 大阪屋
 p24【伊豆半島めぐり:丹那隧道開通記念】昭和9年
p24【伊豆半島めぐり:丹那隧道開通記念】昭和9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232274/1/24
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【茶業界 32(12)】昭和12年(1937-12)
出版者   静岡県茶業組合連合会議所
出版年月日 1937-12
 ◎献納寄送先
第一陸軍病院伊東轉地療養所
傷病兵見舞品として三十貫
https://dl.ndl.go.jp/pid/1589942/1/11
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【銃後の横浜 : 皇軍慰問号】昭和13年(1938)
著者    横浜市出動軍人後援会 編
出版者   横浜市出動軍人後援会
出版年月日 昭和13
東京第一陸軍臨時伊東轉地療養所
https://dl.ndl.go.jp/pid/1026584/1/82
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【吉川中佐偲草】昭和13年
著者    吉川洋中佐記念会 編
出版者   吉川洋中佐記念会
出版年月日 昭13
英姿を胸に描きつゝ、
伊東轉地療養所にて靜養中、
遇然にも吉澤隊長殿に逢ひ、吉川部隊長殿の追
https://dl.ndl.go.jp/pid/1258347/1/134
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【財團法人偕行社社員(東京衞戍地及其ノ附近在住者)名簿:
 昭和十三年十一月改刷(十月上旬調)】
出版者   偕行社
出版年月日 1938.11
夏目英雄  靜岡、伊東町、伊東療養所
https://dl.ndl.go.jp/pid/3461803/1/73
田邊重信  靜岡、伊東町、伊東轉地療養所
https://dl.ndl.go.jp/pid/3461803/1/89
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【黒船 17(12)】昭和15年(1940-12)
出版者   黒船社
出版年月日 1940-12
  將校療養所燒く
  伊東の火事、六戸六棟を燒く
伊東町玖須美
東京第一陸軍病院臨時伊東轉地療養所
第六分室伊東館(將校專用)
裏手民家から
去月(11月)十九日午前零時頃出火、
漁業 峯田兼吉、按摩業 平岡宇太郎、
無職 土屋いと、德永貢、
土木業 星野きわ、
電氣療院 本間武次方
各二階建居宅六戸、六棟を全燒、
伊東館三階に燃え移り
三階建一棟を殆んど全燒
一時過ぎ漸く鎭火した
傷病將校は傷痍の我身を顧みず
必死となつて防火に活躍したので各方面から
勇敢な行爲を賞賛されてゐる、
尚ほ將校連は重症患者なき爲
幸ひ五十名全部無事に大阪屋旅館に避難した。
 原因伊東署で取調中であるが
 温泉街目抜の銀座通りとて
 一時は非常な騒ぎであつた
 損害五万圓
 p32【黒船 17(12)】昭和15年(1940)
p32【黒船 17(12)】昭和15年(1940)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473103/1/32
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【黒船 18(6)】昭和16年(1941)
出版者   黒船社
出版年月日 1941-06
 年内に姿を消す
 伊東療養所移轉確定的
陸軍の箱根湯元に出來る温泉療養所は
いよいよ本極りとなり、
これが完成後の
伊東東一轉地療養所
の存置問題は
地元伊東温泉の發展上重要な關係をもつものとして
注目されてゐるが、
山本療養所長はこのほど關係旅館を招致し
 明言は出來ないが伊東が廢止されても
 皆さんがその對策に困らぬやう
 今からそのつもりでゐてもらいひたい
と暗に廢止移轉をほのめかした、
從つて移轉は確定的で事變以來
療養温泉として報國した伊東療養所
年内には姿を消す譯である、
なほ地元としても箱根に代るべきものを
提供したい肚ではあるが
その資力はない狀態にある。
 p36【黒船 18(6)】昭和16年(1941)
p36【黒船 18(6)】昭和16年(1941)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473109/1/36
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【日本伝染病学会雑誌 16(5)】昭和17年(1942)
出版者   日本伝染病学会
出版年月日 1942-02
  雜報及會報
 〇入 會
平山四十三君 靜岡縣伊東町 伊東轉地療養所
 〇轉 居
窪田精四郎君 靜岡縣 熱海陸軍病院 將校病室
https://dl.ndl.go.jp/pid/1726691/1/43
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