【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年(1979.3)
著者    早稲田ラグビー60年史編集委員会 編
出版者   早稲田大学R.O.B倶楽部
出版年月日 1979.3
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/19
著者    早稲田ラグビー60年史編集委員会 編
出版者   早稲田大学R.O.B倶楽部
出版年月日 1979.3
 ユサブリの前後
 柯 子 彰 昭和9年卒業
第10回と第11回の
全国中等学校ラグビー蹴球大会に連続優勝して
同志社中学を卒業した私は、
昭和4年
早稲田大学第二高等学院に入学、
体育会ラグビー蹴球部員となった。

昭和5年
全日本カナダ遠征チームのCTBとして、
その一員に選ばれたが、
WTBの北野孟郎君(慶応)とともに
最年少組であった。

昭和7年
田川潔主将のもとに全国制覇し、
昭和8年1月上海遠征、帰国し
昭和8年度の主将に任命された。

ラフプレイ問題が原因で中断していた
京都大学との定期戦の復活を
京大 那須嘉門主将との間で話し合った結果、
「復活しよう」との結論には達したが、
すぐには実現しなかった。

昭和7年度の全国制覇の原動力は、
戦車FWといわれた強力FWを編成した
明治を破るためにも考え出された
”ユサブリ戦法“であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/142

そして2年連続して全国制覇を成し遂げる
という成績を残して、
私は昭和9年春卒業し満鉄に入社した。

奇しくも早稲田・京大定期戦復活交渉の
那須嘉門 京大主将も同時に満鉄に入社、
同僚となり同じチームでプレーする事となった。
昭和11年3月
早大満鮮遠征チームを迎えて対戦した。
この時の早大チーム(米華真四郎主将)は
実に見事な縦横の”ユサブリ“を展開して、
満鮮の全試合に完勝した。

大連、奉天と勤務し、
戦時中は上海に、
そして満鉄勤務の後、
終戦になってから台湾に帰り、
鉄道局につとめた。

台湾ではラグビー育成のため
50歳になるまでプレーを続けたし、
56歳までレフェリーをした。

現在は福禄旅行社の社長に就任して
旅行業に専念しているが、
台湾のおかれている複雑な情勢下でも、
台湾ラグビーの強化を念じている。
幸いなことに次第に強力チームが
育って来つゝある。

今年は母校早大ラグビー部創立60周年であり、
是非優勝日本一の覇権を奪取して欲しいと
心から願っています。

そして是非早大伝統の技術的にすぐれたラグビーと
台湾ラグビーの対戦を実現し、
台湾ラグビーの育成強化につながる事を熱願しています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/143
 歴代部長、監督、主将等一覽表
昭和8年度 主将 《柯子彰》
p189【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
p189【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/189
昭和9年   柯 子 彰
昭和15年   井川晴雄
昭和16年   松元秀明
昭和16年12月 福留忠雄
p192-1【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
p192-1【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/192
早稲田ラグビー60年史
昭和54年3月31日
発行 早稲田大学R.O.B倶楽部©
編集 早稲田ラグビー60年史編集委員会
   東京都中央区銀座1-8-15
   陶雅堂内
   電話03-567-0071
印刷 大日本印刷株式会社
   東京都新宿区市谷加賀町1-12
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