【満洲飛行機の思い出】昭和57年(1982.6)
著者    満洲飛行機の思い出編集委員会 編
出版者   満州飛行機の思い出編集委員会
出版年月日 1982.6
 満飛の思出 河内 実(旧姓 三迫)
一、昭和十六年十二月八日早朝。
  全員飛行場に集合!
  ラッパの音が高々と、
  香積中将が遥か前方の台上に浮かんだ。
  あおの時の緊張は忘れる事が出来ない。

一、満飛工場の大火災。
  第五社宅の一隅から、
  かけつけたが唯々茫然。

一、パイロット河野中尉の死。
  キ-79機の事故。
  続いて又パイロットの死。
  検査課員はその都度気合をかけられた。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
会社の疎開と思い出2/4
[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年
この昭和十九年は会社にとつても、
私たちにとつても、忘れられないことは、
あの爆撃と火災の二つの不祥事に加へ、
河野操縦士の墜死である。
河野君は実戦の経験を得た航空中尉で、
会社では古い名パイロツトであつた。
何時も完成機をテストし、
飛行機を満洲航空支廠に空輸していた。

一、昭和十九年十二月七日。
  B-29の大空襲、
  あの時の命の恩人
  外山君ありがとう、
  負傷した私を背負って
  火の中をそして
  水の中を逃避してくれた。

一、極寒時の公主嶺への転勤。
  山脇課長の配下に?
  出退勤時の隊列に対する
  横田少尉の号令が
  私の耳には今だ残っております。

一、ソ連の参戦を聞く。

一、昭和二十年八月十五日。
  公主嶺飛行場の一隅でラジオ放送を聴く、
  以後セイサンカリを内ポケットにして
  不安な毎日が続いたが
  貨物列車で南下
  奉天を目前にして
  四平街で下車
  徒歩で花園街へ一直線。
  着いた所はもはや花園ではなかった。
  それからは如何にして
  生きて内地の土を踏むかが、
  課題の毎日であった。

一、昭和二十一年六月。
  私は元気で、
  胡芦島より博多港へ帰ってまいりました。
  機体検査課の皆さん、
  如何お暮しですか。
(現住所)広島県府中市府中町一〇七ノ二九
p239【満洲飛行機の思い出】昭和57年
p239【満洲飛行機の思い出】昭和57年
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/239
満州飛行機の思い出
定価 五千円 〒 五百円
昭和五十七年六月一日   印刷
昭和五十七年六月二十九日 発行
編集並発行  満州飛行機の思い出編集委員会
       代表 澤柳誠四郎
       〒202 東京都保谷区柳沢一ノ三ノ一四
       電話  0424-62-7056
花園会事務局 山内サッシ工業株式会社内
       〒332 埼玉県川口市川口二ノ一三ノ一
       電話  0482-52-2370
印   刷  船舶印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/254
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