【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
出版者   同志社ラグビークラブ
出版年月日 1983.12
 試練に堪えた中学の思い出
  昭和4年 中学卒《柯子彰》
今より60年前、
僕は同志社中学に入学して北寮で生活した。
まさかラグビーをやるとは夢にも思わなかった。

当時のラグビー界では、
関東の慶應位いがチームらしいチームであった。
関西方面では特に京都が中心で、
京大・三高・一商・同志社等が
盛んに対抗ゲームを行っていた。
それに同志社中学は全国大会で
殆んど優勝を獲得していたため、
学校当局も学生達もラグビー熱が旺盛で、
特に学生達はお金を出しあって
ボールを買いに求め、
練習やクラス対抗ゲームで盛んに楽しんだものです。
北寮は丁度上立売グラウンドの前で
地理的に恵まれ、
放課後の夕食迄の時間を利用しては、
よく皆と練習やゲームの真似事をやった。
そんな環境で僕もラグビー部に入り、
OB連からいろいろな基本動作を教えられた。
しかし堪えられないぐらいの猛練習で
何回となく止める積りもあったが、
皆が堪えられるなら僕も堪えて行こう。
これも人生の試練であると反省しつつ
中途退部を思いとどまった事は
本当によかったと今でも思っている。

ご承知のように当時のグラウンドは堅くて
石塊が多く、
ラグビーの靴は今のと異なって
革のスパイクを靴の底に
釘で打ちつけたのを履くので、
地面が堅いため革が擦り減って、
釘が靴底を突き抜けて、
足裏が釘で穴だらけになり、
又大学と常に練習マッチをやり、
タックルをやりそこなうと
怒られるばかりでなく、
堅い地面で腰を擦りむくので
所謂「ビフテキ」がシーズン中
癒ることがなかった。
又風邪などで熱があっても、
走れば汗がでるから癒るのだと
絶対に休めなかった。

今から考えると、
よく耐えられたと思う。
然し若い時は疲労回復も早く、
はげしい練習や、
苦しい思いにも耐えられ、
経験豊富な先輩の指導を素直に受け入れ、
同僚同士相互勵みあう
精神を涵養することに努力すれば、
必ず社会に貢献し得る一員となり得ると信ずる。

そしてその精神を鍛え得るには、
ラグビーしかないと信ずる。

最後に同志社ラグビーの益々
御発展を心から祈り続ける。
p131【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
p131【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12172654/1/131
同志社ラグビー70周年史
1983年11月20日印刷
1983年12月3日4発行
編集 同志社ラグビー70周年史
   編纂委員会
印刷 株式会社 図書印刷 同朋舎
   京都市下京区壬生川通五条下ル
発行 同志社ラグビークラブ
   京都市東山区東大路新橋林下町437
   福住荘 中村公紀 気付
https://dl.ndl.go.jp/pid/12172654/1/237
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