【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
出版者   同志社ラグビークラブ
出版年月日 1983.12
  あの頃の同志社高商ラグビー部
  多田常喜 ※下記
  昭和12年高商卒(昭和15年 大学卒)
あの頃(昭和9年頃)は、
満州事変からやがて支那事変へと
突き進んで行く時代の風潮から、
何となく殺伐とした雰囲気の時代でありました。

その様な世相を反映して、
同志社高商も蛮カラが巾をきかせたもので、
蓬髪に紋付の木綿羽織、
素足に駒下駄のいでたちの学生が数多く、
比叡山の麓岩倉に独特な校風が
出来ていた様に思います。

然しラグビー部だけは、
キャップテンの松村さんが
※松村:下記 満洲飛行機製造(株)
仲々ウルサクて、
制服に下駄ばきででも登校しようものなら、
「お前、それは何や」
とジロリと睨まれるので、
割合いキチンとした服装で
学校へ通っていたものです。

監督の鳥居のボン、
村井の弥太はんは
同じ頃の先輩松見の孝ちゃんと共に、
颯爽としたダンディ振り、
松村さんは2年生のくせに
キャップテンとして、
むっつり屋さんで頑張っており、
3年生に学者然とした理事の西原さん、
優しくて親切であった竹内さん(竹はん)、
スクラムセンターの加藤さん、
フロントローの村瀬淳平さん、
2年生には暴れん坊の倉橋オネさん、
牧師の様な大森フランケンさん、
ポパイの富永さん、
p141【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
p141【同志社ラグビー七十年史】昭和53年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12172654/1/141
良いオッチャンの榊原さん(通称サッカン)、
胸毛がふさふさととても立派であった林さん、
唄が上手の北川さん等々、
それぞれ個性的な先輩がいて、
私達の同輩は、
山崎、島峯、長橋、岡田、近藤、上原(今の秋田君)
高山、辻、飯田、滝野、半田、山田、木全、
の面々で総勢25人、
臙脂と紺のユニフォームで
石ころだらけのグラウンドを
走り廻っておりました。

練習の帰り道では、
皆ユニフォームと同じ色のマフラー
(当時1円50銭でした。)
を首に巻いて、
比叡颪に吹かれ乍ら山端まで歩いたものです。

岩倉気質の楽しいチームでありました。

昔の仲間の人達も幾人かは戦死し、
その後病気で亡くなった人も幾人か。

懐かしい若き日の追憶は、
何時までも私の瞼から消えません。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12172654/1/142
同志社ラグビー70周年史
1983年11月20日印刷
1983年12月3日4発行
編集 同志社ラグビー70周年史
   編纂委員会
印刷 株式会社 図書印刷 同朋舎
   京都市下京区壬生川通五条下ル
発行 同志社ラグビークラブ
   京都市東山区東大路新橋林下町437
   福住荘 中村公紀 気付
https://dl.ndl.go.jp/pid/12172654/1/237
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《多田常喜》
【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年
出版者   東洋経済新報社
出版年月日 1963
[大阪商船 株式会社]
 大阪市北区宗是町1
 電話(441)1731
 設立 明治17年5月
 東京支社 東京都千代田区内幸町2-1
      電話(591)9111
https://dl.ndl.go.jp/pid/2473861/1/539
同(東京支社)次長:多田常喜
東京都渋谷区大山町27
大正4年生 大阪
昭和15年卒 同志社大 法学部
昭和15年入社
p540【東洋経済会社人事録 1963年版】
p540【東洋経済会社人事録 1963年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2473861/1/540
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
ラグビー部の歴史と私①
(満洲航空から満洲飛行機製造)金江圭太郎
【満洲飛行機の思い出】昭和57年
(昭和14年)
春のラグビー部の第一戦は四月下旬奉満と対戦した。
 満航ラグビー部 篠原顧問歓迎会
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/218
然しその技量の差は如何とも仕難いと思っている時に
倉庫課に
松村君が入社直ぐ入部した。
彼は同志社の名センターだ。
彼の入部により練習方法も一変し
六月の満洲電々と対戦一八対六と
部創立二年目にして初勝利を得た。
その日のジョッキ程うまいものはなかった。
今日の勝利を得るのに
一年半の練習の毎日は大変なもの、
之れを機会に沢柳主将は現役を去り
松村主将にバトンタッチした。
鈴木、建部両氏も仕事の関係で退部した。
東田監督も現場多忙で退いたので
松村新主将が兼任した。
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