【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年(1979.3)
著者    早稲田ラグビー60年史編集委員会 編
出版者   早稲田大学R.O.B倶楽部
出版年月日 1979.3
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/19
 満州のOBたち 緑林半騎(昭和10年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/143
昭和17年(1942)は満州国建国十周年である。
戦局も負け戦までにはいたらず、
時々、ラジオから軍艦マーチが流れ、
戦果の発表があった当時である。
新京では盛んな祝賀行事が行われた。

そのころ、新京を訪れた小野田康一(大12)は
三浦環がお祝いと軍隊の慰問を兼ね、
この地に滞在していることを知った。

三浦環はオペラ「蝶々夫人」を歌わせれば
世界中右に出るものがないといわれた
プリマドンナである。

そして井上元佶(昭和13)が ※原本は(昭和12)
そのマネージャーとして同行している。
小野田康一(大12)はさっそく
井上元佶(昭和13)に交渉し、
かたわらコロンビア新京支店長の石丸に
※石丸五郎(大11)
頼んでスタジオを借用し、
三浦の吹き込みを計画した。

曲は部歌「北風」と新曲「荒ぶる」である。
双方の快諾でレコードは出来上がった。

欣喜雀躍した小野田康一(大12)は
旅行中であるので
数枚を携行して帰国した。
だが、一枚も現存せず
幻のレコードとなってしまった。

そのうちの一枚は、
木村文一(大12)がもらいうけけたのだが、
たまたま訪れた甥に乞われて
貸してやったのが運のツキ、
空襲によって灰になってしまったのである。

長老(木村文一)は今も嘆いている。
「貸さなければなー、
 ワタシの家は空襲も受けずに、
 もとのままなんだからナー。」
 p145【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
p145【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/145

  卒業生一覧表 p192-194/198
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/192
早稲田ラグビー60年史
昭和54年3月31日
発行 早稲田大学R.O.B倶楽部©
編集 早稲田ラグビー60年史編集委員会
   東京都中央区銀座1-8-15
   陶雅堂内
   電話03-567-0071
印刷 大日本印刷株式会社
   東京都新宿区市谷加賀町1-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/196
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