【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者 日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
《柯子彰》 なつかしの背番号13
天才的なプレーを謳われた柯子彰は、
同志社中学時代、
C・T・Bに張万玉と列び、
W・T・Bに江原、吉田を配して、
その黄金時代を作り、
昭和5年(1930)から
5シーズン早大のC・T・Bをやり、
その間 加奈陀遠征に加わり、
早大主将もつとめた。
柯と並んだことのある川越藤一郎が述懐して曰くに
「柯さんはパスを受ける前からピョンピョン、
ギャロップしていて、
球を手にしてから、
一瞬にモーションを
二通りにも三通りにも使い分けました。
1シーズンにいっぺんでも
綺麗にかれをタックルすることが
わたくしどもの念願でした」と。
かれは人のきらう13番の背番号を気にもせず、
かえって誇りにしていた。
掲出のバッジは昭和34年(1959)、
裁判員(レフリー)の資格で、
全台湾ラグビー大会で優勝した
台南市橄欖球隊を率いて来日した時の記念バッジ。
夫人秀鳳は日本人で、
和歌をよくし、
これらの作品は昭和39年(1964)春
南米へお嫁にゆく愛嬢の渡航の途に託して
機関誌”ラグビーフットボール“に寄せたもの。
ラグビーによせて
柯秀鳳
雨晴れしグランド駈ける 縞馬の
転びつ 蹴りる 泥と汗とに
どしゃ降りに 泥まみれたる 選手等の
ドリブル前進 球の重げに
ラグビーのキックの球に 観衆も
一つになりて 空を仰げり
夕迫り立つグランドに 賞受くる
悲喜交々の顔の並びて
初めての試合にのぞむ 吾子の背に
見守る吾の 心ときめく
学友の夫にと土産はユニホーム
ラグビー背番の十三懐かし
雨の日も試合あるとか レフリーに
出立つ夫を ひそか嘆かむ
異なりし国に育てし ラグビーの
術(わざ)に繋(つなが)る 精神(こころ)貴し
p97【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/97
日本ラグビー史 頒布価格 ¥2200 送料¥150
昭和39年11月20日 発行
発行者版権所有者
財団法人 日本ラグビーフットボール協会
会長 香山 蕃
印刷者 桜井文雄
発行所 財団法人 日本ラグビーフットボール協会
東京都港区赤坂青山北町3の68
印刷所 株式会社 桜井広済堂
東京都港区芝三丁目24番地5号
電話(453)0551(代表)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/198
主要ラグビー試合戦績及出場者氏名一覧表
昭和39年11月20日 発行
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財団法人 日本ラグビーフットボール協会
会長 香山 蕃
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早稲田大学ラグビー蹴球部
商学部/年
最近の出場試合
1934/2/7 早大VSオーストラリア学生代表
1934/1/3 早大VS同大
1933/12/3 早大VS明大
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台湾ラグビーの星・柯子彰、
日本代表キャプテンを務めた台湾人選手の軌跡
スポーツ 歴史 2019.11.02
一青 妙 【Profile】
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《柯子彰》早大伝統の技術的にすぐれたラグビー
【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
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