blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年10月15日03:30
《柯子彰:夫人 柯秀鳳は日本人》
【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
夫人秀鳳は日本人で、
和歌をよくし、
これらの作品は昭和39年(1964)春
南米へお嫁にゆく愛嬢の渡航の途に託して
機関誌”ラグビーフットボール“に寄せたもの。
  ラグビーによせて
   柯秀鳳
    エリスを迎えて
異なりし国に育てし ラグビーの
  術(わざ)に繋(つなが)る 精神(こころ)貴し
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【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
出版者   台湾独立建国聯盟日本本部
出版年月日 1962-03
  台湾のラグビー
日本のエリス・ラグビー・チーム一行25人が
昭和37年2月24日台湾に遠征した。
同チームの一員北村靖選手は、
台北から次のように報じてきた。
《日刊スポーツ》昭和37年3月3日付から
台北飛行場では、
かつて早大の名センターとして鳴らした
《柯子彰》氏をはじめ、
ラグビー関係者の歓迎をうけ、
台湾のラグビーがいかに日本ラグビー界に
期待をかけているかを深く感じた。

昭和37年2月25日午後3時半から
対建国中OBとの第一戦が行われたが、
結果は次のとおり。
 エリス 32(3-5)8 建国中OB
      (29-3)
ゲーム前に長々とした儀式があり、
立法院長《黄国書》氏の歓迎あいさつに始まって
各界各士のスピーチが一時間もつづき、
その間直立不動の姿勢をとらされているので、
われわれはすっかり調子が狂い、
前半はリードされる始末だった。
後半はFWの体力、
技術の差がはっきり現われて圧倒的に得点して
第一戦をものにした。
このゲームで感じた台湾チームの性格は、
実に忠実なラグビーに終始していることで、
FWはセット・スクラムの組み方などに、
まだ難点があるが、
ルース・プレーのタテに突っ込む力には
かなりの威力がある。
バックスは走力もあり、
柔らかいからだのこなし方は、
将来相当の強味をみせると思われる。

これは余談だが、
ゲーム終了後グラウンドの中央に飾られた
《蒋介石》総統の写真に対し三度最敬礼を
台湾の人たちといっしょにさせられたのは、
われわれの感覚としては一時代前のもので、
どうにもおかしく吹き出すのをこらえるのが
やっとだったが、
このあたりにも台湾の政情がうかがえた。

第二戦は昭和37年2月27日
大同中OBと行なわれた……
この間台湾ラグビー協会の人々に
聞いたところによると、
台湾には各中学(高校)ごとに
ほとんどラグビーチームがあり、
社会人、大学にも各15チームがある。
しかし、台湾ラグビーの最大の悩みは、
技術的にうまくなった選手がほとんど
兵役にとられて中断してしまうとのこと。
これは現在の台湾の政情としては
どうしようもないことだろうが、
惜しまれることだ。
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/26
台湾青年 第16号 1962年3月25日
頒価 ¥100.
発行人 王 育 徳
編集長 梁 彰 海
発行所 台湾青年社
    東京都豊島区千早町2~35
    電話(957)6995番
    振替口座 東京 23534番
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/34

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
  ■台湾・韓国との交流
以上のほか、
往年西部協会の支部として充実した活躍をしていた
朝鮮及び台湾が、
戦後韓国および中華民国として独立した今日も、
依然ラグビーの芽は死なず、
さかんに普及しているが、
台湾からは昭和34年5~6月に、
明大O・B・の《林全録》団長、
裁判員《柯子彰》の引率のもとに、
34名の選手団が来日し、
日本鋼管、東横、横河、トヨタ、京都市役所などと
8戦して3勝4敗1分の成績を収めた。

ついで昭和37年2月エリスクラブが招聘され、
「台北市選抜」、「建国中O・B・」、
「大同中O・B・全台南」、「全台北」
と4戦して4勝した。
得点合計98点、失点合計15点であった。
“赴台”の“球隊”のメンバーは、
関東諸大学のO・B・を網羅している。
一行に《香山蕃》会長も同行し、
日台ラグビー親善に役割をはたした。

台湾ではラグビーを橄欖球と名付け、
試合は比賽、スクラムは可克蘭、タックルは拓克路、
レフリーが裁判員などの訳語があるが、
罰踢進門(ペナルテーゴール)
[𧾷+並]踢進門(ドロップゴール)になると
われわれにはなじめない。

 エリスクラブ台湾遠征メンバー
   ( )内は出身校
団長 上岡 将男 (日 大)
主将 古賀浩二郎 (教 大)
FW 古賀浩二郎 (教 大)
   佐藤 喜義 (中 大)
   安部 泰人 (日体大)
   石崎 誠一 (成蹊大)
   関野 周治 (日 大)
   菊池 暁雄 (日体大)
   渡辺 一郎 (教 大)
   池  隆介 (日 大)
   中塚  充 (法 大)
   中山  亨 (明 大)
   渡辺 一男 (明 大)
HB 佐藤 達郎 (日体大)
   立花 正巳 (中 大)
TB 谷口 隆三 (早 大)
   原口 文雄 (日 大)
   鈴木 秀明 (法 大)
   北村  靖 (立 大)
FB 渡部 岑生 (教 大)
   永峰 恒雄 (法 大)

台湾での愛力斯

韓国へは昭和38年4~5月に日体大が招かれ、
《栗本義彦》学長みずから団長として京城に赴き、
第1戦を中央情報部(陸軍軍人)と苦戦し
9対8で辛勝したほか、
檀国、延世、慶北、慶煕の諸大学との
4戦を連勝して帰国した。
この遠征には日本協会から
《西野綱三、和田政雄、熊谷仁志》が同行し、
ラグビーを通じての日韓親善を深めた。
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/167
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