【蔵前工業会誌 (563)】昭和37年(1962)
出版者 蔵前工業会
出版年月日 1962-07
台湾に於ける会員の消息
(ラグビー遠征に際してお会いした先輩達)
《菱田一雄》
私は工大ラグビー部のOB会にも入っているが、
エリスクラブにも所属している。
エリスクラブは、工大だけでなく、
各大学のOB会で結成されており、
ラグビーをやっているものなら、
たいてい知っているし、
日本でも最強のクラブチームの一つである。
最近、台湾の中華民国ラグビー協会の招きで、
台湾に遠征することとなった。
期日は(昭和37年)2月24日から3月7日まで、
約2週間である。
幸いに私は、多数のクラブ員の中から選ばれて、
中、日親善試合のメンバーになったので、
さき程、台湾に遠征して来た。
その時お会いした工大の三人の先輩の
消息をお伝えしたいと思う。
写真は台北の町で右から二人目《陳》氏
三人目《筆者》
【官報 1942年11月12日】昭和17年
著者 大蔵省印刷局 [編]
出版者 日本マイクロ写真
出版年月日 昭和17年
◎臺灣總督府臺南高等工業學校(四十回卒業生)
機械工學科
《陳成慶》
《陳 成慶》昭和26年化工卒
名簿では昭和26年卒になっているが、
実際の卒業年度は昭和21年で、
帰国のため卒論が延びてしまったそうである。
現在、台北市にある国立台湾大学化工系副教授として、
台湾の最高学府の旧台北帝大の伝統を受け継いだ
名門校で活躍中である。
台湾大学は、現在、日本の東大、工大と同様に、
物凄く入学がむづかしく学生の勉学態度は、
日本人よりはるかに、真剣だとのことである。
それと云うのも
「中国では、徴兵制度があって、
大学の途中から2年間は兵役に行かねばならないから、
勉強の出来るうちは、
しっかりと勉強するのだと云う意識が強いためである。
その点日本の学生は、良い意味でのびのびとしているが、
反面、自由に流れ過ぎているきらいがないでもない。」
と云っていた。
大学の講義は北京語で、
一般に話す言葉は台湾語、
日本に長く留学されていたので、
日本語は、われわれより上手、
アメリカへ2年程留学されていたので、
英語も得意と、
私なんか、日本語だけでも、苦手なものにとって、
誠に羨ましい話だった。
同氏は工大在学中にラグビーをやっておられたとのことで、
特に台湾にいる間ご迷惑をお掛けした。
第一試合は、昔の台北一中のOBとであって、
現在建国中学と名称が変っているところと行ったが、楽勝。
その試合のあとで、
古い写真を一枚持って来られた。
一見して、すぐ戦争中のものと分かった。
本館がきれいなものである。
大学の分析教室の前で、
ラグビーの白いジャージィーに
「生協」と書いたマークをつけて、
桜の木の下で、
本館をバックに15~6名が
坊主頭で試合前に写した写真である。
私の知っている顔は、
大野明(18金)氏しかなかったが、
陳氏は、塚本氏、中村氏などの名を挙げた。
特に塚本氏とは、高工時代の先輩、後輩であって、
なつかしいが、消息が分からないと云っていた。
半日、陳氏の案内で、日本の味の素と同じ、
「味全食品工場」を見た。
同工場は台北から約15分位のところにあって、
グルタミン酸を発酵法で造ったのは、
日本より先だったとのことである。
施、工場長の説明によれば、
現在、増設中の諸施設は、
陳氏の種々のアドバイスによるものだそうである。
現住所は 中華民国台湾省台北市紹興南街32巷14号
現在 長女15才、次女12才、
長男11才、次男9才、3男7才
と三男二女がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1805588/1/12
【東京工業大学一覧 昭和15-16】
出版者 東京工業大学
出版年月日 昭和16
《劉主安》 大正一五年 紡 昭和七年大紡
【東京工業大学一覧 昭和7至8年】
著者 東京工業大学 編
出版者 東京工業大学
出版年月日 昭和7
染料化學科
昭和七年三月卒業(八名)
《劉 主安》臺灣
《劉 主安》 15紡、7染
台北での2戦を楽勝したあと、
第3戦は南下して、台南市営球場において、
全台南市と行った。
その時、グランドに見えられたのが、
劉先輩である。
台南のラグビー協会からの連絡で、
工大の卒業生が来るからと云うので、
始めて、ラグビーを見たとのことであった。
現在、台南市の長栄女子中学の校長を
おやりになっているそうで、
今日も生徒達に、大学時代の恩師、
菱山衡平先生や永海佐一郎先生のことを話して、
生徒達に訓辞をしたところだと、
非常に敬虔な態度で話された。
戦後、日本から来た工大の卒業生に
会ったのは始めてだと、
私のことを非常になつかしがられて、
同夜、台南市長の招待のあと、
一緒に同市を案内して下さった。
教育者としては、
出国が面倒で中々日本に行けないのが残念だが、
何んとかして、日本に行きたい、
そして日本に行ったら、まづ、
恩師の菱山先生のところに、
お見舞に行きたい。
私の日本に行きたい目的の半分は、
これであると、話しておられた。
《江 北辰》 昭和21年機
現在、台北のシンガーミシンに勤務中。
前の劉主安氏の女婿で、
台南から紹介を受けて、挨拶に行った。
今度、シンガーが工業用ミシンの工場を
台北に建てる計画があるが、
その工場の責任者として行く予定があるとのことであった。
現住所 台北市中山北路二段六八A号
美商勝家縫紐機器股份有限公司
(23化工門 東京首都整備局都市公害部)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1805588/1/13
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