【経営コンサルタント (475)】昭和63年(1988)
著者 経営政策研究所 [編]
出版者 経営政策研究所
出版年月日 1988-05
わがラグビー人生
ノーサイドの笛の音まで全力を出す
ロイヤルドルトンドッドウェル
営業部長 《真下 昇》
ひとたびラグビーの面白さを知ると、
決してラグビーから離れることはできない。
これは全てのラガーに共通することではないだろうか。
先日、本誌で秋山富一住友商事副社長の
”東京商大・大丈夫会“と題するエッセイを読み
改めて思った次第である。 ※別稿に記載
秋山副社長も書いておられるように、
ラグビーは最大の集団格闘技である。
しかも、あらゆる競争の要素を持っている。
サッカー、バスケットなどの
蹴る、投げる、走る――
柔道、レスリングのように
組む、タックルする――
手、足、体の全てを使う競技である。
自分の特技を生かし、
個性を発揮することによって
チームに貢献する。
ワン・フォー・ザ・オール、
オール・フォー・ザ・ワン、
これがラグビーの根本理念である。
決して自分は英雄にはならない、
自己犠牲によって同志を英雄にする――
これがラグビーだ。
だからボールを抱えて独走し、
そのままトライする。
観衆のヤンヤの喝采を呼ぶこの行為は、
むしろラグビーのそれではない。
一つのトライは十五人全員が
それぞれのパートを完全に果たした
その結果にすぎないのだ。
ニュージーランドのチームが来日して、
オール日本をこてんぱんにやっつけた。
百何対ゼロというまるで
大人と子供の試合のようなゲームだった。
結果について色々批判もあったが、
徹底的に相手を打ちのめす、
決して手かげん、手ぬきをしない、
スコアに関係なく常に全力プレイをする、
これがラグビーのマナーである。
やがてノーサイドの笛が鳴る。
ゲームが終われば、
もうサイドはない。
勝っても負けてもお互いの闘いぶりを称賛しあう。
お互いの健闘に尊敬の念を持つ。
だから、ラガー同士の友情は厚い。
ラグビーを忘れられないのは、
そういうさわやかな友情で
支え合っている面があるからだろう。
戦後、復員して来た学生たちがラグビーを始め、
社会人になった時、
自分たちのエネルギーを発散し、
友情を温め合うために、
OBのクラブを組織した。
その第一号が昭和二二年に誕生した
エイコンクラブである。
エイコンというのは、
どんぐりという意味で
皆同じだということを表している。
その一年後の昭和二三年、
エイコンの対戦相手として
エリスクラブが発足した。
エリスというのは、
秋山副社長も書いておられたように、
一九世紀前半の英国の名門パブリックスクール
「ラグビー高」の生徒の名前。
フットボールの試合中、
ゲームに熱中したエリス少年が
突然ボールを抱えて走り出した。
これはもちろん反則だが、
このハプニングに場内はわいた。
それが、
ラグビー誕生のきっかけとなったのである。
さて、
エイコンやエリスが誕生したが、
当時はまだ社会人のチームはなかったから、
もっぱら対戦相手となったのは、
進駐軍や外国人の混戦チームである。
今でこそ社会人チームや、
各地域のチームが沢山出来て、
盛んとなったラグビーだが、
当時は、
グランドの確保や対戦チームの選定にも
苦労したのである。
私は今、
関東ラグビーフットボール協会の理事と
審判委員長を務めているが、
毎日夜一時間半のトレーニングは欠かさない。
グランドでレフェリーを務める以上、
体力がないといけないし、
太りすぎてもいけないからだ。
グランドで一人だけもたもた動いたりしては
目ざわりだろう。
それで体づくりに務めているわけである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2205750/1/86
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