【京都薬科大学八十年史】1964
著者 京都薬科大学八十年史編纂委員会 編
出版者 京都薬科大学
出版年月日 1964
第二編 別録
リュードルフ・レーマン伝
(Rudolf Lehmann)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544742/1/160
またレーマンの私宅へ内輪(うちわ)で
習いに行ったものもあり、
山本覚馬の三女久枝・谷赫女・劉ふみ
などの三名と伝えられている。
―略―
当時レーマンの住宅は欧学舎の内にあり、
明治四年(一八七一)十二月
河原一石という人の下女を雇い、
また長崎人
峰重吉夫妻を料理人として
京都における生活が始められた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544742/1/163
遠く彼の故国独逸に在ては、
彼の友人の元東京大学教授
Dr.Ludwig Riessは二月十日の
Frankfurter Zeitung 10.Feb.1914.Nr.41に
“Ein deutscher Kulturpionier in Japan”
なる追悼の一文を彼のために稿して寄せ、
日独文化の橋渡しの役目をつとめた
レーマンの業績を称揚した。
Whos who in japan 1914によれば、
彼は明治三年(一八七〇)一月
日本婦人Ben Kidaと結婚したとあるが、
下河辺翁秘蔵のレーマン一家の写真には、
明治十年(一八七七)七月の年記があり
妻の名は「おたつ」と記されている。
Ben Kidaと「おたつ」なる婦人が
同一の人であるか否やは分らない。
彼には二男一女があり、 ※下記に詳細記載
年長の一女は「たに」といい
京都で生れたが二男は東京で生れた。
その子女は何れも独逸に送って故国の教育を授け、
男子のうち一人は海軍軍人に、
他の一人は陸軍軍人たらしめんとする
希望を有していたというが、
その子孫のことは明らかでない。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544742/1/164
京都薬科大学八十年史(非売品)
昭和39年(1964)9月15日 印刷
昭和39年(1964)10月1日 発行
編 集・京都薬科大学八十年史編纂委員会
発行所・京都薬科大学
京都市東山区山科御陵中内町5
電話(58)3161(代表)
印 刷・土山印刷(土山定治郎)
表 紙・三豊クロス
造 本・山口製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544742/1/245
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年11月17日05:51
日本近代化の脇役ルドルフ・レーマン
【日本近代化の先駆者たち】1975
父 ルドルフ・レーマン
1842年(天保13年)10月15日生
1914年(大正3年)2月4日歿 71歳
母 ベン(木田)
1856年(安政3年)9月17日生
1932年(昭和7年)6月24日歿 76歳
長男 アドルフ・レーマン:禮滿 安都呂夫
1890年(明治23年)1月28日生
1911年(明治44年)2月13日歿 21歳
明治四十四年(一九一一)
チフスにかかり二十一才で亡くなった。
※五男一女
由緒ある日本婦人,
木田ベンを娶って妻とし,
五男一女をもうけた.
長女 たに,
長男 Karl,
次男 Adolph,
三男 Rudolf,
四男 Walter,
五男 Fritzで
次男 Adolphの他は
いずれも独逸で教育
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