【現代船井郡人物史】大正5年
出版者 三丹新報社
出版年月日 大正5
p1【現代船井郡人物史】大正5年
質美村長
大西藤馬君
船井郡質美村
氏は明治四年三月生、
明治三十年十二月擧げられて
同村役場書記となり、
明治三十七年四月勸業委員となり
明治四十年四月同村區長となり、
明治四十二年十一月同村助役となりたり、
然るに大正二年十二月
同村長たるに及び助役を辭任したるが
爾來村長として今日に至れり、
此間村會議員たりしこと五回にして
聊か晩蒔の感あれども
實際の手腕を發揮するは
現時にて最も適任と稱すべきなり、
同村は船井郡の模範村にて
明治二十二年町村制實施の始に於て
林九右衛門氏村長となり
基本財産を確立以來
大西秀吉、竹村正夫、
三好彌藏の諸氏相續きて
之を踏襲し
益々其規模を大にし、
造林の增殖を圖りたる設計は
大正三十一年に至れば
拾參萬四千貳百八拾五圓を算せり、
其他産業に衞生に敎育に納税に
村民貯蓄に青年團在郷軍人會の成績等
悉く整頓發達して、
内容充實せば
現今の村長は其守政者たれば
才腦ある人物を要せざるが如くなれども
決して然らず、
佛を造りて眼子を入れの
大責任は後繼者にあり、
何んぞ現村長の責任輕しとせん、
模範村たる質美村をして
益々光輝ある模範村たらしむると否とは
現村長の手腕たるなり、
衆望の君に歸するは
其手腕卓絶を證するものにて
君の任や實に重し、
されど過去の經歷を軌道として
徐行せんか
決して難事とするに足らざるべし、
君は資性温厚沈着、
怜悧にして明晰なる頭腦を有し
事に當りて熱心努力を惜まず、
進取的氣象に富み
克く利害を識別して誤らず、
然して人に接する親切を旨とし
德義を重ず、
之れ幼時見るべき學歷を有せずして
今日の位置と名望を得たる所以にて、
將來の大成期待すべきなり、
君年齒尚春秋に富む
奮勵以て自治政の爲に貢獻を祈る。
大正五年九月二十日印刷
大正五年九月廿五日發行
編輯兼發行人 藤本 薫
京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人 中西勝太郎
京都市下立賣小川東入西大路町十番戸
印刷所 中西印刷合名会社
京都市下立賣小川東入西大路町十番戸
發行所 三丹新報社
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