【慰問之栞】昭和16年(1941.3)
出版者 陸軍恤兵部
出版年月日 1941.3
p9【慰問之栞】昭和16年(1941.3)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906754/1/9
私の日記から 三浦環②
十二月二十六日
※昭和15年(1940)12月26日
今日は好いお天氣。
朝から學園の子供達が見舞に來た。
藤原さんが驚いて電話をかけて來た。
※藤原義江
※藤原義江
私の母は八十三歳だが、
今朝家からお砂糖だの紅茶など持つて
婆(ばあ)やと二人で來てくれた。
いろいろな美しいお花の中に、
宇野千代さんから下さつた薔薇は、
特別に眞赤で、
未だ蕾ばかり。
とても可愛らしい。
私は本年中には退院は出來さうもない。
たゞベッドに寝ながら考へてゐる。
と何時も思ひは戰地の兵隊さんの事ばかり。
私は病院でお正月を迎へるけれど、
何不自由のない此のお部屋。
病の痛みの外には、
何の恐ろしいものもないのに、
戰地にお働きの皆さまは、
ほんとに片時も
油斷の出來ぬお正月をなさるのだ。
兵隊さんがたの事を想ふと、
私はいつも眼が熱くなる。
その頃の思ひ出――
櫻井大佐殿が、
朝私の食事をしてゐる所へ來られて、
『オイ唱うてくれ』と仰しやつた。
其の時大佐殿を見上げたら、
私のお腹のやうな大きなお腹をつき出して
にこにこして居られたけれど、
作戰御出發の前の五分間をさいて、
私の聲を聞きに來られたとの事なので、
私は嬉しさのあまり一生懸命に
愛國行進曲を唱うた。
歌の進むにつれて大佐殿は泣いてしまはれた。
『もう一度唱うてくれ』
との御命令。
私もやつぱり泣いてしまつて、
泣きながらもう一度繰返して唱つてあげた。
『よく唱うてくれた。有難う。
どうか其熱意ある歌を、
一人でも多くの兵隊に聞かせてくれ。
自分は大君の御爲には命はいらぬ。
妻も子もいらぬ。』
と言はれた。
大佐殿は部下の少尉殿に手傳つて貰つて、
其暇にすつかり服をお着けになり、
白い手袋をはめて自動車に乘られた。
あれから飛行機で戰地にゆかれたのだ。
私は見送りながら、
あゝこれでこそ我が國は萬々歳だと思つた。
成田中佐殿はよく達磨樣の繪をお書き遊ばした。
私共一行が汽車の事故で夜中まで目的地につかれず、
やつと宿についたら、
其の達磨樣を畫いた軸物が書けてあつたので、
なんとなくほつとして救はれた氣持がした。
林田部隊長殿にお目にかかつた時は
あたかも生きたお芝居の英雄のやうに思つた。
丁度〇〇に行つて歸られたところであつた。
『軍人は一に戰死、二に暗殺、
三に頓死、四は疊の上だ』
と仰しやつて居られた。
お鬚が立派で、お顔が眞黑で、テカテカで、
生き生きとして居られた。
『向ふの橋まで昨夜敵が來ましたが、
機關銃でパンパンやつたら逃げました』
との事。
『エツ、では私の慰問會はどうか
晝間にして下さいませね』
とお願ひした。
夜は電氣
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906754/1/140
などないので眞暗なのだ。
三四百人も死骸が浮いて居たと云ふお池からは、
夜は燐が燃えてゐた。
お便所に行く時が恐ろしかつた。
その翌朝。
皆樣はお馬に乘られて
私達を見送つて下さつた。
護衞の兵隊さん達の乘つて居られる船で河を下つた。
見送りに來て下さつた馬上の將校たちは、
岸に沿つてトツトツと船と竝んで歩かれた。
とても勇ましいお姿であつた。
私達はハンケチを船から振り振り、
サヨーナラー サヨーナラー
御機嫌ようと申した。
あの時も私達の船は匪賊におそはれずに、
無事に次の土地についたのだつた。
筒井部隊長殿にお目にかかつた時は、
御自分のお部屋を一行にお貸し下さつた。
兵隊さんのお手製のお料理、
とてもおいしかつた。
其の夜は月夜で、
トーチカから敵の居ると言ふ所を見た時は、
胸がドキドキした。
部隊長殿が
『好く第一線まで行つて下さつた』
とお褒め下さつた。
また丸山部隊長殿から
名譽なる感謝狀を戴いたのもあの時だつた。
それは私の一生のお寶となつた。
それから土戸隊長殿の御自慢のいかめしい城門。
あの門の所で、
『今聞える砲聲はどこかなあ』
と双眼鏡を取り上げて見て居られたが、
其の側には辨慶のやうな髭むしやの
伍長さんも居られた。
私は敵の彈でも來やしないかと云ふおそれよりも、
此の勇ましい軍人のお姿に見入つてしまつたのだつた。
オリンピック三段跳
世界第一位選手の田島直人さんも
此處の兵隊であつた。
阿部中尉殿は柔道六段とか、
好いお體格、併も立派なお人格。
私が梯子段から滑つた時には
田島さんが受止めて
阿部さんがエキホスを船まで
わざわざ持つて來て下さつた。
漢口の三谷洋食喫茶店の主人は
もと兵隊さんだつたとか
私のマネージャー井上の親友で、
※井上元佶
※井上元佶
とても一行の者を親切にして下さつた。
あのお店で御馳走になつてゐるとき
お船で御一緒であつた
中村少尉殿がお茶を飲みに上官と一緒に來られた。
お氣の毒にも中村少尉殿は
それから一週間もたゝぬうちに
戰死せられた。
あゝ‼
多くの尊い英靈、
生々しく眞赤に血ぬられた靑い顔、
手、服はズタズタに破れ、
御足は片方だけになつてゐられる方もある。
私はトラツクに横たはつたお亡骸の
御前に幾度か跪づいた事だらう。
此の仇はきつと御戰友がとつて下さいます。
――と手を合せた。
そして思はず聲をたてゝしまつた。
『私の此の合掌はあなたがたのお母樣の
御手むけでございます』
と申し上げて、
泣いて泣いて泣きくづれたのだつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906754/1/141
慰問之栞 (非賣品)
(陣中倶樂部 特別號)
昭和十六年三月一日印刷
昭和十六年三月十日發行
發行者 陸軍恤兵部
東京市麴町區永田町
編輯兼 株式會社 大日本雄辯會講談社
印刷者 東京市小石川區音羽町三丁目十九番地
印刷所 凸版印刷株式會社
東京市下谷區二長町一番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906754/1/147
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