【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者 板垣進助 著
出版者 理論社
出版年月日 1952
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
鳩山私党はこうして生れた
自由党結党の下話は敗戦直後にはじまった。
芦田の勧めで軽井沢の山荘を敗戦後一週間たった、
八月二十二日におりてきた鳩山は、
芦田・安藤・植原悦二郎・矢野庄太郎・北昤吉らと
新党結成について語りあったが、
軍閥の余香(よこう)なお
におう当時の形勢に弱気の鳩山は、
まず近衛文麿のかつぎだしを策してことわられた。
ついで戦時中親しんでいた
西尾末広・平野力三・水谷長三郎の三名と
芦田をまじえて銀座の交詢社にあい、
『いっしょに政党をつくろうじゃないか』と
話をもちかけ、
そのために新党名を
『日本大衆党』とする案まで用意した。
これには多少のわけがあった。
戦時中大阪の国粋大衆党首として
衆議院の無所属に席をしめ、
のちに巣鴨の戦犯拘置所にはいった笹川良一は、
西尾・水谷の二人と親しいなかで
資金的な援助もあたえていたし、
鳩山とも懇意なあいだだったので、
この提案となったものである。
しかし西尾・平野・水谷の三人は思案ののち、
われわれはやはり無産政党をつくる、
それにはいくらなんでも
鳩山といっしょではまずいと結論し、
九月の上旬これをことわり、
双方とも
『新政党は別につくるが、
なにかと協力できることは協力してゆこう』と
将来の友諠を約してわかれた。
社会党が結党後ことあるごとに
自由党など保守党との連立にうごいたのは、
こうした いんねんによる。
鳩山はそのごも斎藤隆夫と協議するなど弱気をみせたが、
幣原内閣出現後は自信を回復して結党にすすんだ。
自由党の結党資金は ほとんど鳩山一人がまかない、
その顔とこうした才覚がものをいって誕生した党は、
はじめから鳩山私党となったが、
ひさしく軽井沢にひきこもっていた鳩山に
そんな たくわえのあろうはずはない。
鳩山の金ずるのひとつは
ブリッジストン・タイヤの石橋正二郎で、
鳩山の長男 威一郎が、
石橋の長女 安子と結婚した縁つずきから
多少の資金もでたし
そのころ鳩山の宿舎に
赤坂の石橋邸が提供されもしたが、
石橋資金はさして多くはなかった。
鳩山自由党はもっとほかの
大口資金がみつがれた。
みついだのはまず、
笹川良一の子分すじにあたる
児玉誉志夫の中国収奪資産であり、
ついで中曾根幾太郎らの詐欺とヤミ屋であり、
また大隈憲二らのヤミ屋と土建屋であり、
『光は新宿から』とたたえた
尾津喜之助らのテキ屋とヤミ屋である。
これら敗戦のどさくさにかすめとった
不当資金がいろいろなルートをつうじて
自由党内にながれたが、
その典型的な一例がのちに
片山内閣当時の
不当財産取引委員会で曝露された
辻嘉六への献金事件である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/36
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行 定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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