[原子力産業新聞] 2007年11月8日 第2403号 <2面>
「環境、エネルギー・原子力」女性リーダー像 (5)
NPO法人環境エネルギー政策研究所副所長 大林 ミカ氏に聞く
文学少女から「反原発」への軌跡 今は持続可能な社会実現へ
―大林さんと原子力とのかかわりの軌跡は。
大林 小倉の高校を卒業するまで、
文学が好きで詩人を夢見ていたし、
友人も文学や音楽、美術の好きな仲間ばかりだった。
東京に出て翻訳の学校に通ってからは海外現代詩の翻訳家を志し、
夫もロック・ミュージシャンで、
原子力とは全く違う世界に埋没していた。
ライフスタイルが変化したきっかけは、
86年のチェルノブイリ原子力発電所事故にある。
私はちょうど、
おいしいからという理由で無農薬の自然食に凝った時期で、
遠く離れた発電所の事故がさまざまな形で
日本や途上国の食物・食品にまで影響していることに驚いた。
さらに、種々の報道から原子力産業に携わる
放射線被曝労働者の存在を知り、
私たちはそうした人たちの犠牲の上に
電気を使いたい放題使っていることは耐え難いと思った。
この問題は、現在も自分の心の中で解決できないでいる。
でも、実際に反原発運動に踏み込んだ契機は子供の出産だ。
子育て1年半で社会に出て働こうと思った際、
出産前は英語塾の講師で
時間とお金を引き換えにする時給制だったため、
「最愛の娘を保育園に預けても、
その時間を無駄にはしなかった」
と納得できる仕事をしたいと考えた。
その時ふと浮かんだのが、
女性問題か反原発運動を手伝いたい、だった。
92年は「あかつき丸」の帰還に合わせ
〝反プルトニウム・キャンペーン〟が開始される矢先で、
そんなことは知らなかったが、
反原子力運動の中心にいた高木仁三郎さん(故人)が主宰する
原子力資料情報室へ「仕事の空きはないですか」と電話したら、
「英語のできる人なら捜しています」で、
資料情報室入りした。
―その資料情報室を99年に辞めたのはなぜか。
大林 直接的には、
高木さんが資料情報室を退いたことが一番の理由だ。
資料情報室は思っていたよりずっと行動的なところで、
運動理論に裏打ちされた全共闘運動をしていた人もいて、
最初は驚いた。
私は何も知らなかったので、
資料情報室でなければ政治的な運動に入っていた可能性もあり、
草の根の市民運動に根差した資料情報室に入れたこと、
高木さんとの出会いはすごく幸運だったと思っている。
また、92年は環境と開発に関する「リオサミット」が開催され
地球温暖化問題が急浮上した年で、
私は原発に対する強い問題意識はあったが、
二酸化炭素の排出削減には、
化石燃料や原子力に頼っている
今の社会そのものを見直す必要があり、
「もっとエネルギー問題を勉強したい」と強く感じていた。
そこで、「エネルギー問題全体への取り組みが必要」と説得し、
資料情報室にエネルギー部門を立ち上げ、
97年のCOP3(京都会議)まで活動した。
翌年の参院選で多くの仲間が国会に入ったのを契機として、
「自然エネルギー促進法」推進ネットワークを立ち上げ
副代表になった。
但し、自然エネへの特化は資料情報室の仕事ではなく、
私はだんだんはみ出して行ったし、
高木さんも代表を退いた。
そこで、99年に資料情報室を辞め、
00年に飯田哲也さんと「環境エネルギー政策研究所」を設立、
現在に至っている。
―政策研副所長として今の思いを聞きたい。
大林 政策研は原子力には反対だが、
反原発のための反原発ではない。
人々が皆幸せに暮らし、
将来世代もそれを享受できる
「持続可能で平等な社会」確立がミッションだ。
私は自然エネが政治的にも文化的にも
そうした社会を実現する突破口になると思っている。
自然エネ主流の社会は、
必然的に分散型にならざるを得ないので
原子力との共存は難しく、逆も真だ。
原子力は政治的にも資金の面でも一部に集中し、
機微技術なので意思決定システムが限定され、
結果として多くの人が参加する平等な社会は望めない。
また最近、
原子力は温暖化防止と経済の持続的発展を両立する
切り札のように言われているが、
たまたま発電から二酸化炭素を排出しないだけで、
推進派にとっても、それが一番の存在理由ではないだろう。
原子力新設を気候変動防止の中心策に据えるには
時間的に間に合わない。
まずは省エネ、そして自然エネしかないと思う。
「持続可能」というのは、
経済がこれから急発展していく
途上国と先進国では意味が異なるし、
温暖化対策として原子力を使うとすれば、
今後排出量が大幅に伸びる途上国が中心になるが、
途上国での新規建設には、
核拡散と安全性の問題がつきまとう。
その意味から、「原子力ルネサンス」と言われるものや
今後の原発新設の流れもあまり大きな動きとは思っていない。
ルネサンスといっても、
今ある原発のリプレース・能力維持だけでも容易ではなく、
先進国での新設もそれに市場が反応するかは疑わしい。
「原子力にのめり込む東芝なんか本当に大丈夫?」とさえ思う。
また、日本は国内に55基もの原発をつくり
放射性廃棄物を出し続けていることを考えると、
原子力の「後始末の技術」を
きちんと保持していく重い責任があろう。
(原子力ジャーナリスト 中 英昌)
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2024年03月26日15:47
《新スタッフ紹介・大林ミカさん》
【原子力資料情報室通信 (229)】平成5年(1993-06)
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