【日本の礎】1968
出版者 共同通信社開発局
出版年月日 1968
紫綬 昭和37年
《小田基礎》 日本化学製錬(株)取締役社長
明治三十二年二月二十日
本籍地 神戸市灘区篠原南町七ノ五四五ノ一五
現住所 奈良市北市新道町六一ノ四
含水酸化鉄の発明者
研究に初志貫徹
研究者として初志を貫徹、
意思の強さを身にもって立証した人である。
氏が今日までなしとげた偉業は大きく、
独自のテーマと取り組み、
日本における含水酸化鉄製造の発明者であり、
最初に工業化した先覚者である。
欧米の技術水準を抜く
この発明の完成も、
氏が研究に心血を注いだ結果によるところが多い。
神戸市の出身。
六高を経て大正十三年
東北帝大の理学部化学教室を卒業した。
純正化学を専攻、
さらに金属材料研究所長
本多光太郎博士の指導のもとに、
金属組織学を学び、
大阪市立工業研究所に奉職した。
在職十カ年間にすぐれた足跡を残し、
当時需要の全部を輸入に依存していた
全切鋸歯を研究開発し、
不二越鋼材工業(株)の創立を促し、
全輸入を国産に切り替えるに成功、
昭和四年天皇陛下の行幸に際して
お目にかかる光栄に浴した。
乾式亜鉛鍍金方法についても新技術を開発、
昭和九年日本鋼管入り、
亜鉛鍍金工業を中心とした総合研究に没頭、
副産物より硫酸亜鉛の製造、
熔鉱炉廃棄ガス中のダストより
電気亜鉛の製造、
鋼管洗滌廃酸より硫酸鉄の回収、
硫酸鉄を原料とした含水酸化鉄製造と
本格工業化に従事した。
戦後も私財を投じて含水酸化鉄の研究を続け、
昭和二十七年には東洋色素工業を新設し
エローオーカーを国産、
二十七年には日本鉄化工業を創立
専務取締役となり、
黄色顔料、記録用磁性材料を生産して
電子工業界などにも貢献した。
このあと高千穂理化学研究所を創設、
研究に専念、
含水酸化第二鉄の生成反応機構の研究と製造法の改良、
記録用磁性材の改良、
ゲータイトよりのフエライトの製造研究に従事した。
『黄色顔料及び
記録磁性用材料ゲータイトの製造にかんする研究』
では三十七年大阪工業大学より
工学博士の学位を得た。
昭和三十六年には村田製作所に入社、
ゲータイトの加圧式製造法の工業化、
ゲータイト赤色酸化鉄の製造などに業績を残した。
略歴 (株)ハイクリスタル顧問、
日本鉄化工業相談役、
日本化学製錬社長。
p128《小田基礎》【日本の礎】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/128
昭和三十七年度 p642/679
11・28 紫(科学技術)
小田基礎
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/646
昭和四十三年四月 十五日 印刷
昭和四十三年四月二十九日 発行
「日本の礎」定価三〇、〇〇〇円
発行者 成田 安賢
編集者 手嶋選三郎
印刷者 秋庭 由平
発行所 共同通信社開発局
東京都港区赤坂葵町二
電話 大代表(584)四一一一番
振替貯金 東京六七一番
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/675
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