【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
著者    極東国際軍事裁判所 編
出版者   雄松堂書店
出版年月日 昭和43
 p3【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
p3【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/3
◎極東國際軍事裁判速記録 第二百六十四號
 亞米利加合衆國、 ※アメリカ
 中華民國、
 大不列顛北愛蘭連合王國、 ※イギリス
 ソビエツト社會主義共和國連邦、
 濠州連邦、    ※オーストラリア
 加奈陀、     ※カナダ
 佛蘭西共和國、  ※フランス
 和蘭王國、    ※オランダ
 新西蘭、     ※ニュージーランド
 印度及び比律賓國 ※インド・フィリピン
   對
 被告 荒木貞夫  土肥原賢二
    ―略―
    東條英機  梅津美治郎

昭和二十二年九月四日(木曜日)
東京都舊陸軍省内極東國際軍事裁判所法廷に於て
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/235
〇フリーマン辯護人
 證人岡部榮一を召喚いたします。
 同人の宣誓口述書は
 辯護側文書二二四〇號となつております。
  〔岡部證人、證人臺に登る〕
  〔證人宣誓〕
〇フリーマン辯護人
 證人、あなたの姓名と住所を述べてください。
〇岡部證人
 私の住所は東京都杉並區淸水町二十四番地、
 岡部榮一。
〇フリーマン辯護人
 證人に辯護側文書二二四〇號を見せてください。
  〔證人に文書を渡す〕
 證人、それはあなたの宣誓口述書であり、
 あなたが署名したものですか。
〇岡部證人
 ええ、私が署名してあります。
〇フリーマン辯護人
 その内容は正確かつ眞實でありますか。
〇岡部證人
 絶對正確であります。
〇フリーマン辯護人
 辯護側文書二二四〇號を證據として提出いたします。
〇裁判長
 通例の絛件附で受理いたします。
  〔書記 辯護側文書二二四〇號は
   法廷證三〇八四號といたします〕
〇フリーマン辯護人
 法廷證三〇八四號を朗讀いたします。
 第二節より。
 私は昭和十九年(一九四四年)十二月に
 滿州飛行機製造會社の理事長に選任せられました、
 此の會社は滿州に於ける唯一の
 飛行機製造會社でありまして
 本社及主要工場は奉天に在りました。

 此の工場の隣に
 滿州工作機製造株式會社の工場がありまして
 其處で專ら工作機械を製造しており
 米英の俘虜が數百名働いて居りました、
 其の内には技術的に優秀な者が居ると云ふことでした、
 然るに私共の飛行機工場では
 俘虜は使つて居りませんでしたから
 私は其の理由を係の者に尋ねました處
 係の者から次の樣に答がありました。
 「滿州飛行機製造會社では、
  あなたが 理事長に就任する前に
  俘虜を使ふことに就て
  非公式に關東軍參謀に問合せた處
  參謀から俘虜は國際法規に依り
  飛行機製造に從事せしむることが
  出來ないのであると
  云ふ返事があつたので
  當社では俘虜を使はないことにしたのである」と、
 此の回答に依り私は初めて
 國際法の制限と之を遵守する關東軍の
 俘虜取扱の態度とを承知することが出來ました。
〇裁判長
 最後の章は必要がないと思いませぬか。
〇フリーマン辯護人
 ……
〇裁判長
 異議があるなしにかかわらず、
 われわれはこれを決定しなければなりません。
〇モーネン檢察官
 檢察側はこの證人に對する反對尋問はありません。
〇フリーマン辯護人
 證人の退廷をお許しください。
〇裁判長
 通例の絛件附で退廷を許します。
  〔岡部證人退廷〕
 p236【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
p236【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/236
極東國際軍事裁判速記録 全一〇巻
昭和四十三年一月二十五日発行
定価 全一〇冊 五万五千円
編集兼発行者 新田満夫
発行所 株式会社 雄松堂書店
    東京都新宿区四谷一丁目一七番地
印刷 有限会社 仁誠堂
製本 有限会社 篠崎製本所
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/421

【極東国際軍事裁判速記録 第201~300号】
出版者   [極東国際軍事裁判所]
出版年月日 1946-1948
※上記と同一(p553/880) 
https://dl.ndl.go.jp/pid/3044820/1/553
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年01月20日04:05
会社の疎開と思い出2/4[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年
社業も着々進展し、増産の一途をたどつたが、又もや、
昭和十九年二月、再度の火災に機体部が見舞われ、
香積理事長もその責を負つて会社を辞任された。

私は偶々満福寮に来客を招待したとき、
香積理事長の送別の席に列する機会を得た。
その席には池内理事、松原部長、沢柳部長等が同席され、
互いに惜別の情を禁じ得ない面持で盃を重ねていた。

この時ふと、
香積理事長が大変書を良くされたことを思い出し、
記念に長幅の書を所望した。
すると内地に帰られる忙しいさなかにも拘らず、
二三日後呼ばれて理事長の室に行くと、
「和衷共同」と書かれた半折を戴くことが出来た。

この記念の書も敗戦のどさくさで
失つてしまつたことは残念であつた。

香積理事長の後任には、
小林一三社長のもとに、
東京電燈の副社長であつた
岡部栄一氏が理事長として就任された。
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