【九州鉱山学会誌 5(3)】昭和10年
出版者 九州鉱山学会
出版年月日 1935-01
丹波に亞鉛鑛床發見
大江山に大ニツケル鑛脈を發見して
天下の耳目を聳動させたのは
この夏のことだが
今また同じ丹波の地で有望な亞鉛鑛脈が發見された。
場所は船井郡須知村から竹野村にかけて連らなり
天正の昔、
明智光秀が臣下に命じて銀鑛を發展せしめ
園部藩主松平公も80年前發掘したところ、
今回發見したのは
京都市伏見區深草祓川町
並河秀龍氏と
須知町字安井の村山孫太郞
兩氏で何れも園部藩にゆかりの人達である。
兩氏とも鑛山業については丸の素人で
丁度8年前村山氏が安井猿ケ口で拾つて歸つた
珪石に硫化鐵のまじつてゐるのを發見して
爾來村山氏が私財を投じて試掘に當つたところ
金の含有してゐることを發見、
試掘に試掘を重ねてゐたが1年足らずで
私財を全く失ひ事業を中止して數年、
話を聞いて乘り出したのが秀龍氏の父君水鏡氏で、
村山氏とは親友の間柄、
昭和8年の暮
金鑛區300萬坪を三つに分けて
試掘願ひを出して1年間、
金鑛として今までに發見されたものは
最良所で100萬分の7
到底事業にはならない、
折も折第二號坑としてまだ試掘もせなかつた
竹野村八田の分が昔から傳はる銀鑛と聞いて
何はともあれと試掘にかかつたのが
4月前何處を見ても硫化鐵ばかり探り探つて
掘り出した鑛石は素人目に何だかわからないが
今まで掘り出した硫化鑛とは違つてゐるので、
とに角分析したところ
亞鉛鑛含有量94.01%とわかつた、
それに力を得た兩氏は
懸命になつて試掘を續けてゐるが、
その後同坑から採掘された亞鉛鑛には
含有量70%のものもある。
鑛脈は左右東西に走り
巾上部20尺、
下部30尺、延長約120間とみられてゐる、
同坑は亞鉛のほか硫化鑛を多量に藏してをり
含有量は80%内外のもので、
總量は50萬トンはあるといはれてゐる。
經營者並河氏は語る。
目下坑夫を募集してゐます
本年中に本式採掘にかかるつもりです、
何ゆゑ今までにこの方を
試掘しなかつたのかと思つてをります。
今度發見したのは松平公の採掘した舊坑で、
昔は銀ばかりを目的としてゐたので
亞鉛の含有してゐたことに
氣づかなかつたものと思はれます。
(大母、京都版、9―12―5H)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2291301/1/32
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