【家族制度からの解放 : 
 家庭の幸福と民主主義を守るために (市民新書)】
著者    外崎光広 著
出版者   高知市立市民図書館
出版年月日 1956(昭和31)
 二 自由民権論家の家族制度改革論
人間の自由平等を高く掲げ
民主主義的国家社会の建設を絶叫して、
明治前半期の日本を震撼せしめた自由民権運動が、
家族制度と真向から衝突したのは当然である。

自由民権運動の指導的法学者小野梓
(一八五二年土佐国幡多郡宿毛村に生まれ
 一八八六年東京に死す)は、
明治一七年「民法の骨」を書いて
家族制度を厳しく批判した。
その所論をみよう。

家族制度の支配的な社会では、
個人が直接国家を構成する単位になるのではなく、
家族団体が国家を構成する基礎であり、
個人は家族団体の構成員として
家長を通じてのみ国家組織に参加するものである。

小野梓は家族制度をこのような
公法上の制度とすることに真向から反対して、
個人を以て国家の構成単位とする、
個人制度の採用を力説する。

公法上の家族制度の否定は当然
戸主制度の廃止という
第二の主張となる。

すなわち、
一人の戸主が成年の家族を支配、
統率することは、
その家族の自治の能力を抑制し、
その人の幸福を左右することになる。

既に成年に達し、
自治の能力を有しながらも、
なお戸主の統御を受けるならば、
自から不満の心を抱き、
家庭の親和が破壊されるばかりでなく、
独立できぬために
その労力の結果を自から所有することができず、
したがって、
その力を生業に用いる熱を欠くに至る。

かく、戸主制は、人間交際の宜しきを失し、
生民経済の術に背くものだと結論し、
わが国では戸主制度は上代に始まり、
以来、今日まで及んでいるのだが、
維新後既にその基礎は半ば崩壊し、
わずかにその余影を止めるに過ぎないから、
今後ますますこの傾向を拡げ、
完全に払拭すべきだという。

第三は、
父母が子を恃むの悪弊と題する家族制度的
親子関係の批判である。
古来、東洋では親が子を養育するのは、
子女を成長せしめ、
自分の老後の用に充てる為だと考えているようである。

しかし、親がその子を養育するのは、
父母の尽すべき当然の義務である。

ところが東洋では子の養育は
子に貸与したものように考えて、
子が生長するや自分はまだ若いのに
子の扶養をうけ遊惰安逸に流れ、
無為に徒食する弊風がある。

そのために子は経済的負担大きく、
遠大の事業に尽し、
大利を永久に謀ることができない。

これは、社会の発展にとって
まことに大きな弊害だ、
というのである。

小野の右の批判は、
家族制度の精神的支柱である
孝道に対する批判であると共に、
家族制度に随伴する隠居制度に対する批判であり、
家族制度的親権制度に対する批判でもある。

第四は、
一夫一婦制をとなえ、
妾制度の廃止を叫んでいる。

第五は、
相続制度について諸子分割相続制度を提唱している。
これは戸主制度廃止の主張と共に、
家族制度の最も基本的な支柱に対する一撃である。

第六は養子廃止論である。
養子制度は家系の継続をはかることを目的とする
家族制度の随伴的制度である。

家族制度の廃止を叫ぶ小野が養子制度を
p27【家族制度からの解放】昭和31年
〔画像〕p27【家族制度からの解放】昭和31年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3023313/1/27
とりあげたことは当然である。

彼は束縛圧制、
人の権利を妨害するもの養子より甚しきはなし、
といって、
そのすみやかなる廃止を説く。

第七は、
男女を区別して位置を与奪するの非、
といって両性の平等の実現を説いた。

ところが、
男女の平等の実現については
小野は意外にもきわめて
微温的であり不徹底なものであった。

彼は、
男女の権利義務を差別することについては、
きびしい世論の非難があるけれども、
国事上差別を設けることは、
今日の事情からまことに止むを得ないものがあるし、
また、
女子の貞心を全うせしめるためにも
差別を設けざるを得ないようである。

しかし、
民事上の権利義務に男女の優劣をおくことは
まことに失当である、と説く。

公法上では両性の不平等もやむを得ないが
民事上では平等でなければならない、
というのが彼の主張である。

ところが、
民事上では男女は平等でなければならないといっても、
それは未婚の女子についてのことであって、
夫婦間の権利義務については
再び夫妻の不平等をやむを得ないものとする。

彼が私淑するベンタムの説くところを援用して、
夫婦を平等にすれば、
琴瑟の和せざる、
鐘鼓の調わざる、
世上終に夫妻の交際を空うし、
人間社会是より絶ゆるに至らんとまで言って、
彼の主張は夫婦婦随の域に低迷していた。

小野梓は、
両性の平等については
このように徹底を欠くけれども、
維新後いまだ民法典をもたなかった当時、
以上みたような
すぐれた家族制度改革論を発表していたことは
注目に値することである。

次に、自由民権運動の立役者であり、
最高の理論家であった植木枝盛
(一八五七年土佐国土佐郡井口村中須賀に生まれ
 一八九二年東京に死す)
の家族制度廃止論にすすもう。

植木の家族制度についての主張は、
小野の「民法の骨」の刊行に一、二年おくれ、
明治二〇年前後の土陽新聞に矢つぎばやに発表された。
p28【家族制度からの解放】昭和31年
〔画像〕p28【家族制度からの解放】昭和31年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3023313/1/28
外崎光廣
1920年生まれる
1951年同志社大学法学部法律学科卒業
1953年同志社大学大学院にて法学修士
家族制度からの解放 市民新書6
1956年10月25日印刷
1956年11月1日発行 ¥120
著 者 外崎光廣
発行者 渡辺 進
印刷者 谷内印刷工業株式会社
発行所 高知市立市民図書館
    高知市帶屋町
    振替徳島15276
    電話2501
https://dl.ndl.go.jp/pid/3023313/1/137
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇