【大隈熊子夫人言行録】昭和9年
著者    堀部久太郎 編
出版者   伝紀刊行会
出版年月日 昭和9
 若き日の刀自(二十六歳)
     其二(三十三歳)
 【大隈熊子夫人言行録】昭和9年p4
〔画像〕【大隈熊子夫人言行録】昭和9年p4
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  大隈熊子刀自小傳
大隈熊子刀自は文久三年十一月十四日、
      ※1863年12月24日
(註、戸籍には十二月十四日とあり誤りなり)
郷里佐賀に生る。
故重信侯の長女にして、
母美登は江副氏廉造の姉なり。
幼名を犬千代といひ、
後熊子と改めたり。
幼時、母は故ありて大隈家を離別す。
明治四年(1871)(歳九歳)、
祖母三井子と共に東都に移り、
爾來、兩親(父重信侯、母綾子夫人)の
膝下に愛育せらる。
 ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/1027195/1/19
寛大の事
筆者
『先日、植木屋の源老人が申せる話に
 「先の殿樣(故老侯爵なり)は偉い人だ、
 此の庭にある彼の大きな五葉松の大鉢は
 三代將軍の御愛藏だといはれたもので。
 アレの葉苅を園丁の誰かがやつて居ると、
 梯子をふみはづして落ちた途端に
 梯子が倒れて鉢を壊はしたが、
 その頃には只今のやうな
 支那式の器用な繕ひが出來ぬので、
 皆の者が靑くなつて心配して居ると。
 其處へ殿樣が庭を廻つておいでになつたので
 やむを得ず怖々親方がお詫びを申上げると
 殿樣がウン、そうか、
 怪我せんかつたか。
 とだけ云はれて
 兎ても氣の毒でたまらなかつた」
と申し居たるが、
普通の者ではかかる場合に
かく云はんと思ふとも、
さて其の場に臨むと言へぬことなり』
刀自
『當りまへぢやございませんか。
 あなたは人の體と植木鉢とドチらが
 大切だと思召すのですか』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1027195/1/65
〔其八〕 中嶋みす
私は御隱居樣(刀自の祖母三井子刀自なり)が
御逝去遊ばしました
(註、三井子刀自は
 明治二十八年(1895)一月一日逝去せられたり)
前年から十年間奥樣の御側で御奉公致しました。
 ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/1027195/1/118
〔其一七〕 成蹊學院 敎諭  神 義鐵
私は昭和元年(1926)、
光吉氏(母堂在世中より祐筆を勤めし人なり)の
歿後八月から早稻田御別邸で
奥樣の御書翰を代筆することになつたのである。
 ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/1027195/1/129
昭和九年二月三日印刷
昭和九年二月七日發行 〔定價一圓五十錢〕
編 者 堀部久太郎
發行者 堀部彌二郎
    神奈川縣高座郡茅ヶ崎町上町一二、四〇八番地
印刷者 渡邊 一郎
    東京市小石川區西古川町二十五番地
發行所 傳紀刊行會
    東京市牛込區市ヶ谷加賀町二丁目八番地
    振替口座東京七七六九七番
    (中外印刷株式會社印刷)
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