【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
出版者 草野産業
出版年月日 1979.2
草野惣市翁寿像 晝間 弘・作
〔画像〕p4【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/4
草野惣市は明治十六年(1883)五月二十一日、
福岡県鞍手郡上頓野村字藤田丸で呱々の声をあげた。
現在の直方市上頓野字藤田丸である。
上頓野は福智山々塊の中央支脈が、
緩やかな起伏を作りながら、
遠賀川流域の筑前平野に低まってゆく、
その山裾の斜面を占める地域である。
〔画像〕p9【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/9
このような環境の中で、
惣市は宮近久市、妻キクの長男として出生した。
久市三十歳、キク二十六歳であった。
惣市の父久市は
安政元年十一月五日の生れ、
※1854年12月24日
久三の三男である。
〔画像〕p10【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/10
関西方面に対するコークスの売込みは、
稲穂の発案で間接的な形をとった。
昭和十三年(1938)
京都に三栄商会を起こしたのである。 ※別稿に記載
資本金十万円、
草野宗一商店が六割出資して稲穂が社長、
地元京都の出資者
坂本牛松氏が専務に就任した。
三栄商会は兵庫県飾磨に黒崎コークス、
三井ブリーズおよび長崎コークスを集め、
これらを適宜混合して
京都、大阪、金沢などに売り捌いた。
日月コークスという銘柄であった。
長崎コークスとは、
長崎市土居首にあったビーハイブ炉を、
昭和十二年(1937)草野宗市商店が
その所有者山田鷹治氏から買い取り、
引き続き焼成していたものである。
このような商法、
他人との合弁事業は惣市の意に反するものであった。
三栄商会は再生銑も取り扱った。
日満鉄鋼が再生銑販売店の整理統合を行った時には、
その銓衡に残っている。
三栄商会はその終りを全うすることが出来なかった。
手形の不渡りを出して自滅したのである。
〔画像〕p56【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/56
草野惣市小伝
昭和五十四年二月二十六日発行
発行人 草野泰太郎
発行所 草野産業株式会社
草野倉庫株式会社
草野不動産株式会社
〠104 東京都中央区銀座三丁目
九番四号(草野ビル)
電話(〇三)五四一ノ二九一一(代表)
印刷所 製本所 笹徳印刷工業株式会社
(非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/116
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