【大右翼史 増補】1974
著者 荒原朴水 著
出版者 大日本一誠会出版局
出版年月日 [1974]
〔画像〕p3【大右翼史 増補】1974
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924877/1/3
五七 国民運動社
結成年月日 昭和二十六年七月
事務所所在地 京都市伏見区向島庚申町八九
柴田方
主要役員
主 幹 柴田 次男
(別名 柴田顕正)
組 織 下部組織数 なし
機関誌紙 「国民運動」(休刊中)
塾・道場、青年隊等 なし
目 的
国体維持と反共を標榜し、
天皇元首、再軍備を内容とする
憲法改正を主張している。
性 格
前主幹 柴田金三郎が結成した団体で、
博徒中島会との関係が深い。
昭和四十一年一月 同人の死後、
その子 次男が継承したが、
現在は同人の一人一党となっている。
主要活動
昭和四十三年五月二十八日、
柴田次男は、
右翼運動等に熱意がないとして
「今後二、三年は運動しない」と表明し、
その後は活動がない。
主要関係団体
主幹 柴田次男が三曜会に加盟しているほか、
傘下に民族運動社、救国時報社、
救国青年隊がある。
〔画像〕p798【大右翼史 増補】1974
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924877/1/798
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年02月26日07:50
《チャー坊の父・柴田金三郎氏》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
チャー坊より五歳程年上の次男氏は、
早逝された父君の跡を継ぎ、
〔職業としての右翼〕の道へと選択の余地なく
進まざるを得なかったという。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年05月27日05:00
[柴田家之墓]《柴田金三郎・つぎ・次男・和志=チャー坊》
小野雄二:平成30年5月26日
平成二十八年十月六日
俗名 柴田次男 納骨
行年 七十一歳
釋 浄 剛
昭和41年1月22日歿 俗名 金三郎 行年 63才
釋 尼 妙 春
昭和58年4月14日歿 俗名 つぎ 行年 73才
春光院法音日和居士
平成6年4月25日歿 俗名 和志 行年 43才
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