【京都地方労働運動史】1959
著者    渡部徹 編著
出版者   京都地方労働運動史編纂会
出版年月日 1959
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  第六章 運動再興の兆し
   一 共産主義思想の進出と
     京都の共産党
   Ⅰ アナ・ボルの対立
https://dl.ndl.go.jp/pid/3029459/1/120
   Ⅱ 京都印刷工組合とアナーキズム
印友会は大正一一年四月
総同盟と思想的にはっきり対立することになったが、
しかしこのとき組織的には印友会もガタガタで、
かつての長老森田・上原らは姿を消してしまっていた。

そこで西川金次郎らは、
信友会等の全国の印刷工組合と提携し、
アナの立場をはっきりさせた
新組合を創立すべしと主張し、
大正一一年五月
京都印刷工組合を結成した。

この組合は会長に日出新聞社植字工で
アナーキスト藤本岩夫をあげたのをはじめ、
西川・野村伴・福島佐太郎ら
アナーキストが完全に指導権を握っていた。

それ故この組合は
「関西労働組合同盟」に所属する一方、
信友会等とも密接に連絡をとり、
翌大正一二年五月、
それらとともに
「印刷工連合」を結成するのである。

もちろん組合としても、
別にみるように大正一一年一一月
日出新聞社争議で大いに気勢をあげるが、
それ以上に、
この組合は京都における
アナーキズム運動の拠点として、
特異な役割を果したのである。

とくに、
この組合の基幹分子福島・野村らは、
組合創立前後より、
アナーキスト柴田金三郎・笹井末次郎らとともに、
印刷工組合会長藤本岩夫の住む
上の下立売千本辺の人見温泉にたむろして、
恰も一城を形成している如くであった。

このうち柴田金三郎は、
昭和に入ると神州報国会なる右翼団体をつくり、
ストライキ破りを専門とするようになるが、
彼はもともと
「雷団」という不良少年グループの団長で、
たまたま警察の留置場で
アナーキストの警官を恐れぬ
ヒロイックな態度に感心し、
このグループに接近して来たのであった。

しかし別段思想的にそれほど影響を受けた
というわけではなく、
またグループの方でも
彼はビラまきなどに便利だというので
利用するという程度であった。

また笹井は千本の大親分荒寅の息子で、
これまたデカダンスな生活と
ヒロイズムに陶酔して加わってきた。

この外
永田雅一(現大映社長)や国島泰次郎も出入し、
上田蟻善も表面にはでなかったが、
この仲間の面倒をよくみていたという。
(西川金次郎・高地伝次郎談)
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一九五九年一二月一六日 印刷
一九五九年一二月二一日 発行
 京都地方労働運動史
  定価二、五〇〇円
編著者 渡部  徹
発行者 朝田善之助
印刷所 明文舎印刷株式会社
    京都市上京区今小路御前西入
製本所 株式会社 兼文堂製本所
    新生製本株式会社
発行所 京都地方労働史編纂会
    京都市左京区吉田牛ノ宮町
    京都大学人文科学研究所分館内
発売元 三月書房
    京都市中京区寺町二条上
    (振替六九六六)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3029459/1/814
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年02月26日07:50
《チャー坊の父・柴田金三郎氏》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
チャー坊の父・金三郎は三重県の、
母・“つぎ”は京都の出身です。
 ―略―
父は初めアナーキスト(無政府主義者)
だったらしいのです。
ところが、
ご存じのように弾圧が非常に厳しくて
常に特高に追われている状態で生活していたのが、
あるとき昭和の初めぐらいに転向して、
内田良平に師事した。
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