【見えざる政府:児玉誉士夫とその黒の人脈】昭和51年(1976)
著者    竹森久朝 著
出版者   白石書店
出版年月日 1976
p5【見えざる政府】1976
〔画像〕p5【見えざる政府】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/5

   第六章 軍団崩壊への序章
  ロッキード事件発覚の前夜
(昭和51年)二月六日に予定されていた
「西山幸輝惜別の集い」は
にわかに四日へ繰り上げられた。

帝国ホテル最大のレセプション・ルーム
「富士の間」を埋めた各界の著名士は、
ロッキード・スキャンダルが数時間後に、
この国を襲うのを察知していなかった。

自民党の園田直、安部晋太郎、江崎真澄、
中尾栄一、中川一郎、浜田幸一、山口敏夫、
中尾宏、藤井丙午などの国会議員が顔をみせ、
園田が乾杯の音頭を取った。

西山幸輝は戦後、
社会党議員の秘書を経て
右翼出版社「興論社」に入り、
主幹までつとめた。

その後は故三浦義一の下で働きながら、
明治二一年(1881)創刊の国粋主義雑誌
「日本及日本人」を再建復刊、
代表取締役をつとめた。

三浦の死後、児玉の門下に移り、
児玉師団「青年思想研究会」の
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〔画像〕p74【見えざる政府】1976
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指導者的立場の一人として右翼運動に従事した。
そして自らも
「昭和維新連盟」という右翼団体を持ち、
永らくポスト・児玉の有力候補に
挙げられていたのである。

総会屋の世界でも有名な人物が、
わずか五十三歳で右翼運動の表舞台から
身を退くというので、
財界人も大勢出席した。

安西  浩(東京瓦斯会長)、
大橋 賢治(竹中工務店専務)、
斉藤  進(日航相談役)、
瀬川美能留(野村証券会長)、
堤  義明(国土計画社長)、
萩原吉太郎(三井観光開発社長)、
渡辺 尚次(全日空副社長)らのほかに、
日本電建社長の上原秀作ら総勢七名にも及ぶ
国際興業グループの関係者と、
総帥小佐野賢治も姿を見せた。

和やかそうに見える会場のそこここでは、
当時政界の最大の焦点になっていた
日本共産党の宮本委員長スパイ査問問題が
話題に取り上げられていた。

だが、児玉は病気ということで出席せず、
太刀川秘書がメッセージを代読しただけですませた。

パーティが終ったあと、
小佐野はハワイへ、
西山はソウルへ、
それぞれそそくさと旅立ったのである。
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たけもり・ひさあきら
1930年(昭和5年)
福岡県北九州市に生まれる。
九州大学経済学部卒業後、
地方新聞の記者を経て
1969年(昭和44年)に
フリーのライターとなる。
現在はおもに月刊誌を舞台に
政治・経済ものを手がけている。

見えざる政府
――児玉誉士夫とその黒の人脈
1976年5月31日 第1刷発行
著 者 竹森 久朝
発行者 白石舜市郎
発行所 白石書店
〒101  東京都千代田区神田神保町1-28
    電話03(291)7601
文栄印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/113
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