【見えざる政府:児玉誉士夫とその黒の人脈】昭和51年(1976)
著者    竹森久朝 著
出版者   白石書店
出版年月日 1976
p5【見えざる政府】1976
〔画像〕p5【見えざる政府】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/5

さて、特捜検事が私に協力を求めた事件をのべる前に、
町井久之について触れておこう。

現在は東亜相互企業の社長であるが、
青年思想研究会常任諮問委員、
交風倶楽部同人の肩書を持つ、
れっきとした
児玉ファミリーの構成員の一人である。

大正一二年(1923)七月、
東京港区佐久間町に生れた。
父親は中島飛行機などの下請け鉄工所を経営した。
専修大学専門部中退。

腕っぷしが滅法強く、
戦後それを武器にして
暴力団東声会(会員約千二百名)を組織、
キャノン機関に関係した話はすでにのべた。

昭和三八年(1963)、
銀座に東亜相互企業株式会社を設立した。
クラブ、レストランを傘下に抱えた
いわば水商売のコングロマリットである。
昭和四〇年(1965)
東声会が広域暴力団に指定されて解散したあとは、
もっぱら東亜相互企業を足場に事業の輪を広げていった。

福島県西白河郡西郷村の那須白河高原に
百九十四ヘクタール余の広大な土地を買収、
ここに東亜農公園というレジャー兼用の
酪農会社を設立したほか、
関釜フェリー、東京六本木には
TSK・CCC「憩いと対話の広場」の会社もつくった。

ところでTSK・CCCの落成式
(昭和四八年(1973)七月一一日)当日、
各界の知名士が顔を出した。
このクラブハウスの運営委員(三十一名)は、
五島 昇(東急電鉄社長)、
堤 清二(西武百貨店社長)、
岡田 茂(三越社長)、
榊原 仟(東京女子医大教授、現筑波大副学長)、
桶谷繁雄(東工大名誉教授)、
渡辺恒雄(読売新聞解説部長、現政治部長)
といった知名士で構成されていた。
そして委員の大半は、
児玉との交際関係から町井を知り、
運営委員になった。
p77【見えざる政府】1976
〔画像〕p77【見えざる政府】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/77

神戸製鋼のほかに東亜相互企業から
那須白河の土地を買った企業は、
ロッテ、住友建設、住友不動産、
東海興業、日商岩井、野村住宅産業などがある。

東京女子医大も「温泉医療研究所」用地として、
台上地区馬場坂約一・六ヘクタールの土地を購入した。

  側近がささえる”児玉企業“群
児玉誉士夫が脳血栓で倒れたのは
昭和四九年(1974)九月一七日、
以後、筆頭秘書太刀川恒夫が彼の代行者として
児玉軍団を統率した。
p81【見えざる政府】1976
〔画像〕p81【見えざる政府】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/81

たけもり・ひさあきら
1930年(昭和5年)
福岡県北九州市に生まれる。
九州大学経済学部卒業後、
地方新聞の記者を経て
1969年(昭和44年)に
フリーのライターとなる。
現在はおもに月刊誌を舞台に
政治・経済ものを手がけている。

見えざる政府
――児玉誉士夫とその黒の人脈
1976年5月31日 第1刷発行
著 者 竹森 久朝
発行者 白石舜市郎
発行所 白石書店
〒101  東京都千代田区神田神保町1-28
    電話03(291)7601
文栄印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12230018/1/113
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