【日本航空史 坤】1936
出版者   航空協会
出版年月日 1936
p4【日本航空史 坤】1936
〔画像〕p4【日本航空史 坤】1936
https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/4

 大正九年の民間飛行界
https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/451

 『新飛行學校開設さる』
飛行敎育會の創立者粟津實氏を所長として、
三月一日より飛行研究所を開設して
練習を開始することゝなつた。

飛行場は京都府下の桂川の河原約十二萬坪と、
東京府下羽田海岸と二箇所で、
京都の方は岡本定次郎、
片岡文三郎兩氏が敎官で、
羽田は玉井照高師である。

練習用の飛行機は
粟津式二號(メルセデス・ダイムラー七〇馬力)と
同三號フランクリン三十五馬力とを
取敢えず使用することゝし、
猶ほ二三台を製作しようといふ予定であつた。

學費は、一ケ月六〇圓宛で、
外に保證金として百圓を納付する規定である。

事務所は
京都市下京區松原通堀川西入北門前町の
飛行敎育會に置かれた。

直ちに入所した製作練習の第一期生は、
冬廣 正雄(十六才)
藤田信太郞(十九才)
竹井 富子(十九才)
小森 久彌(二十一才)
鵜 文次郞(二十一才)
川端 淸一(二十一才)
の六名であつた。
此の飛行研究所の特長としては、
學費が他校より半額であるところであつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/453

 雜誌「飛行」の感想募集
帝國飛行協會の雑誌「飛行」は、
(大正)十一年九月號に於て、
左の題目を提出して民間諸飛行家の感想をつのつた。
其の答へは次の如くであるが
當時の民間航空界が何を要求してゐたかを
これから察知することが出る。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/494
  《冬廣正雄》
ヴイツカース・ビーミー機。
ヴイツカース・ピーミー双發動機あらば、
終世の希望とする東京大阪間の輸送飛行を敢行し、
一般人士に航空の安全と航空機の
實用的價値を知らしめんと欲す。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/496
 日本航空史坤巻奥附
昭和拾壹年參月貳拾七日印刷納本
昭和拾壹年四月 一 日發  行(乾坤貳巻壹組)
發行兼著者 高橋重治
印刷人   吉田一三
印刷所   寫眞平版社
      東京市神田區神保町二丁目二十番地
發行所   航空協會
      東京市丸之内二ノ一八
https://dl.ndl.go.jp/pid/1866570/1/773
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