【航空局五十年の歩み】1970
出版者 航空局五十周年記念事業実行委員会
出版年月日 1970.8
創 始 期 座談会
日時 昭和四十四年十一月六日午後二時
場所 於 逓信博物館四階
https://dl.ndl.go.jp/pid/12008103/1/6
創始期出席者略歴
伊藤音次郎(明治二十四年生)
大正四年軽飛行機研究所、
伊藤飛行機製作所代表者、
日本軽飛行機倶楽部創立
安辺 浩(明治二十三年生)
航空官、日本航空運航部長、
中華航空総裁
岡崎 誠一(明治三十一年生)
航空局書記官、
パリー航空委員会駐在、
貯金局長、大日本航空監事
西川 雋吉(明治二十九年生)
航空官、中華航空参与、
大日本航空東京製作所長、
小糸工業副社長
https://dl.ndl.go.jp/pid/12008103/1/7
安辺 浩
それからもう一つ行きましたのは、
三保の松原に根岸錦蔵、
あそこに試験に行ったのですがね、
この間、
坂東舜一さんの喜寿の祝で会いましたよ。
(註、明治二五年生、川西航空機取締役支配人、
現在日本工芸社長)
いまは西原夫人ですけれども、
昔は何と言いましたですか。
伊藤音次郎
今井小まつ。
安辺 浩
その人がそこに来ておりましたですよ。
その話がこの間出ましてね。
よけいな話でこれは速記なんかは
どうでもいいですけれども、
根岸錦蔵のところにその西原夫人、
今井小まつさんが満州から引き揚げてきて、
そこで稽古して二等ですか三等ですか
操縦士になったわけだ。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年09月15日11:00
《今井小まつ・西原小まつ・雲井龍子》
銀狐を巻く夫人となつて幸福に翼を放れた雲井孃
【空の怪奇】昭和8年
京都府下に生れ、
女學校卒業後二年目の廿歳のとき結婚した。
旦那さまと共に奉天に渡つた。
こゝで藥屋が營まれた。
家庭生活三年、
漸く店に坐つてゐる生活が嫌になつた彼女は、
夫と子を殘して單身内地へ歸つてしまつた。
夫や親戚から復縁話が出てもガンとして聞きいれずに、
身を空界に投ずることを決意して
根岸君の所へころげ込んだのだつた。
雲井龍子――と名のりをあげて、
(昭和)十三年十一月に三等飛行士がパスした。
そのときに二人で夫婦になったわけですよ。
今井小まつがそのとき二十三、
根岸が十九なんですよ。
ところが西原亀三郎という人に ※西原亀三
今井小まつの姉さんが
嫁に行っておったのですよ。
それが死んじゃった。
※由久枝:昭和6年(1931)2月18日死去
そのあとにやるというので
根岸錦蔵と別れさせたわけです。
※今井小まつ:昭和6年(1931)3月24日西亀と結婚
そのとき児玉さんが、
お前別れなければ免状取り上げると言って
免状を取り上げたらしいのですよ。
それで免状取ったのはあんたが取ったのだというので
僕に言われるのですよ。
そんな覚えはないけれども、
そんなおもしろいことがありましたです。
児玉常雄さんと西原さんは親類だとか
根岸錦蔵が言っておりました。
まだ元気ですよ。
※児玉常雄
(註、明治一七年生、児玉源太郎大将の次男陸軍大佐、
初代逓信省航空局技術課長、滿洲航空副社長、
中華航空総裁、大日本航空総裁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12008103/1/11
航空局五十年の歩み
発 行 昭和四十五年八月一日
定価一、五〇〇円
協 賛 運輸省航空局
発行所 航空局五十周年記念事業実行委員会
東京都港区芝琴平町三八
(日本瓦斯協会ビル)
財団法人 航空振興財団内
印刷所 第一法規出版株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12008103/1/282
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