【地球 10(1)】1928-07
著者    地球学團 編
出版者   博多成象堂
出版年月日 1928-07
p1【地球 10(1)】1928-07
〔画像〕p1【地球 10(1)】1928-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/1

地球 第拾巻 第一巻
京都府船井郡三宮村質志鍾乳洞
(上)第一室 黄金柱鍾乳石及石筍
(下)第二室 二見岩板狀鍾乳石
p7【地球 10(1)】1928-07
〔画像〕p7【地球 10(1)】1928-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/7


  丹波質志鍾乳洞(圖版第一版附)
    君塚康治郞
  一、位  置
質志鍾乳洞は京都府下船井郡
三宮村字質志(シヅシ)小字大崩(オホボケ)三十二番地
區有地内にありて、
山陰線綾部驛の東南東三里、
下山の西北西二里五、
胡麻の北西四里の地にあり。

園部驛より至らんには綾部に向ひ
略直線的(北五十度西)に發達せる谷を通ずる
福知山街道を進むこと六里にして三宮村に至る。
之より北西に距る約三十町
質志部落の盡くるところに、
街道は二回大彎曲して榎峠にかゝる。
此の第一の彎曲より南西に街道を離れ
高屋川の支流(質志谷を南東に流下するもの)の
最上流部を溯ること二町にして水源あり、
水源は鍾乳洞の下部に位し一の伏流なり。

湧水は冬季にありても涸渇することなく、
又夏季にありては冷きこと沿道隨一にして、
從來通行者に賞用せられたり。
只奥丹後地震の際は黄褐色に著しく混濁し
容易に回復せざりしと云ふ。
鍾乳洞は水源の南南西に當り
之より高きこと百二十米許の地點にあり。
  二、發見の次第
 ① 口 碑
往年洞内に犬と雞(ニワトリ)とを放てるに
犬は生死不明なれども
雞のみは西北西四粁距れる
大原神社境内に出で鳴けりと、
此よりして大原神社まで連れる大洞窟ならむと。
 ② 質志部落民の注意
先年 辻村七五三之助なる者

 blog[小野一雄のルーツ]改訂版
 2012年02月04日15:08
 辻原七五三之助『辻原翁報恩碑』郷土誌「三ノ宮」
 blog[小野一雄のルーツ]改訂版
 2023年01月12日16:25
 《辻原七五三之助氏》明治三年三ノ宮村に生る
 【丹波及丹波人】昭和6年

風穴なりとて蠶種貯藏に利用せむと企圖せしも、
洞内暗黑且洞門の極めて狹隘なりし爲め
遂に利用するに至らざりき。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/43

又現在の第一室に入洞せる者ありて、
多數の鍾乳石を見たるも、
氷柱と誤認し何等注意を惹起するに至らざりき。
  ③ 發 見
昭和二年(1927)十一月三宮村字戸津川
後藤與一なる獵師、
※後藤與一郎【郷土誌三ノ宮】p166 p616
何鹿郡綾部町 山崎達藏外一名と共に
銃獵に出で、
追へる狸の遁入せるを認め追うて、
洞内に至るも狸の行方は知られざりしが、
鍾乳石の美しく下垂せるを見たり。
然れども發見者は之を種に利を得んと
口を緘し語らざりき。

漸次噂は高まり遂に昭和三年(1928)一月二十五日
村長 北村一義氏 ※【郷土誌三ノ宮】p157
小學校長 的場正三兩氏入洞、 ※【郷土誌三ノ宮】p208
第二室まで探檢し石灰洞なるを確かむ。
噂は忽ち廣がり二十六日には入洞者增加し、
且は鍾乳石を破毀する者さへありとて、
質志區民の監視を要するに至れり。
  三、附近の地質
  四、鍾乳洞の發達せる石灰岩塊(地質圖參照)
  五、鍾乳洞(見取圖參照)
1、形狀及大さ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/44

2、鍾乳石石筍及石柱
  ① 鍾乳石(版圖第一版上圖、下圖參照)
  ② 石 筍
  ③ 石 柱(圖版第一版上圖參照)
3、落磐及乾濕
  六、成 因
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/45

  七、現在の施設
質志區民一致して種々の施設をなす。
  ① 洞内、洞門は扉を附し
案内なくては出入し得られず。
又第一第二兩室には石灰岩片を敷き歩行に便し、
第一室の斜下部には丸木段を、
第三室には上部二十三米八の間
針金梯子を設け昇降に便せり。
  ② 洞門附近
現在石灰岩の突兀たる露出ありて
寧ろ殺風景の觀あれども、
附近一帶の雜木を伐採し、
之に換ふるに櫻樹數千本を植林し、
以て風致を添へむと計畫しつゝあり。
  ③ 入洞、洞内陰濕且泥濘の爲め
丹波のタチカケと稱する坑内着の如き上下衣を作り、
入洞者に便す。
區民案内蝋燭並タチカケ使用料として
一人金三十錢宛を徴集す。
  八、結 言
延長百二十米を超えず規模甚だ小にして
既に知られたるものと比肩するに足らずと雖も、
伏流より見れば探檢により
或は洞内は延長する見込あり。
然かのみならず、第一、第二兩室には
鍾乳石、石筍及石柱の美はしきこの多數ありて、
京都府下は勿論、
近隣にかゝる天工物のあるを未だ聞かざれば、
特に保護を加へ以てその破毀を防止し
永く保存するの要あるべし。(終)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/46
昭和三年六月廿五日印刷納本(第拾巻第一號)
昭和三年七月 一日發  行 定價金五拾錢
編輯者  京都帝國大學
     地球學團
右代表者 藤田 元春
發行者  博多 久吉
     大阪市南區大寶寺町西之丁貳拾貳番地
印刷者  井下精一郎
     大阪市西區阿波座中通二丁目四番地
印刷所  井下書籍印刷所
     大阪市西區阿波座中通二丁目四番地
發行所  博多成象堂
     大阪市南區大寶寺町西之丁貳拾貳番地
     電話特南壹壹七七番
發賣所  博多成象堂
     東京市神田區錦町三丁目拾貳番地
     大阪市南區大寶寺町西之丁貳拾貳番地
     振替 東京五貳六〇七番
        大阪七參參參番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1569450/1/52
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