【華興商業銀行回顧録】1964
出版者 華興会
出版年月日 1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/4
華興商業銀行本店のビル<茶色>
往時の上海バンド風景
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/5
華興商業銀行の仮事務所・
ダラッチ路某邸を借りての開設記念(1939)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/7
黄浦江対岸より望む上海バンド
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/10
機構と人事 落合英次
重役陣とその異動
銀行の創立総会は
昭和十四年(民国二十八年)五月一日、
開業日は五月十五日で披露のカクテルパーティーが
新亜ホテルで盛大に行われたのは、
ついこの間のような気がする。
本店の所在地は北四川路の本通りから五十米位入った
ダラッチ路で三階建洋館の民家を改造したもので
勿論手狭なことは免れなかった。
創立当初の重役陣は次の通りである。
総 裁(予定) 陳 錦 濤(もと財政部長)
(病気のため固辞されたので
実際は梁鴻志氏がなった)
副総裁 鷲尾 磯一(正金銀行出身、満州中央銀行理事)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/35
理 事 沈 爾 昌(浙江興業銀行重役)
〃 海老原竹之助(正金銀行門司支店)
〃 戴 克 階(中国銀行経理)
〃 岡崎嘉平太(日本銀行参事)
監 事 陳 日 平(新聞社出身)
—略―
以上の如く六年半の間に瀕繁な異動があり
結局終戦時の陣容は次の通りである。
董事長 梁 鴻 志
副董事長 欠 員
常務董事 陳 爾 昌
〃 李 恵 竜
〃 志茂 源吉
〃 落合 英次
監察人 陳 日 平
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/36
其他の想い出
陳日平さんは早稲田大学出身で
その日本語は日本人そっくりで
一見中国人とは見えぬ風彩の温厚な仁であった。
その子弟もみな日本の教育を受け
中国人と云うよりも寧ろ日本人であった。
他の中国側重役が酒を殆んど嗜められなかった中で
陳さん一人が仲々の酒豪であり、
飲む程に酔う程に言論風発
真に親しみのある方でもあった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/39
2 中国側重役のことなど
亀山正夫
陳日平氏は日本人の血を受けておられた関係か、
非常に律儀な点があって、
また一旦主張し出したことは仲々
後に引かぬ気風があったから
無残な最後を遂げられたのではないかと思う。
遥かに冥福をお祈り申し上げる。
氏は時々日本向けの手紙を出されることがあり、
わたしが加筆修正して差上げていた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/40
華興商業銀行回顧録
昭和39年(1964)4月1日発行
頒価2000円 (400部限定版)
発行者 華 興 会
連絡者 三上 金矢 東京都港区芝琴平町1
カーボンブラック協会
電話501-3241
東京都目黒区清水町533
印刷所 (株)光文社 東京都港区芝西久保広町17
電話431-6760
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/162
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