【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者 国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1
[歴代厚相物語](13)
二代・政治家の父と子
林譲治氏(上)
大野光義
林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月04日11:47
写真[林譲治・坂本恭啓・小野又一]
土佐・宿毛の風土記
古里の荒瀬の桜逝きて見む
——林譲治さんは、
”安心立命“の厳頭の心境に立たれて、
その死の前の日にして、
怖れるふうなく……澄み切って、
この不滅の辞世の名品を遺した。
これは恰で、悠然と春光を浴びている、
気高い高僧の、そのままの姿である。
それから、発句の用語にも、
きわめて心を配られながら、
傍に見まもる、
秘書の依岡顕知氏をかえりみて、
——「ゆきては」は、「行きて」ではなく、
「逝きて」なのだよ。依岡君!
その点、間違わぬように頼みますぞ……。」
と、念を入れて、
いつもながらの林さんのように、
穏やかな温顔に、やさしい言葉で、
口述筆記のこまかい注意を
うながしていたものだ、という。
この句は、林さんが郷里へ……と、
ことさらに言い添えられた作品であった。
それほど生前から、
いかに古里の風土をば――
遥かな東京から、愛されつつあったものかは、
この辞世の一句で、おのずからに、
十分に共感もわこうし、
理解もできるのである。
——林さんは、懐しい古里の荒瀬山に、
倚りもたれかかる想いを、
心の内に秘めながらにして、
昭和三十五年の四月五日の午前九時二十二分、
慶応病院に入院中、
七十一歳でうつし世を去られた。
林さんが元気の頃、
故里を詠んだ句の中には、
また、つぎのような傑れた作品もある。
古里にネオン灯りてほととぎす
古里を土佐に南枝の梅匂ふ
楊梅に幾年ぶりの帰郷かな
林さんは俳号を“鰌児”と言った。
高浜虚子や富安風生氏らに師事して、
大正九年いらいの句作がまとめられ、
それはいま「古袷」の一巻ともなっている。
機関誌 国民健康保険 一月号
(第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
東京都千代田区霞ケ関二ノ一
厚生省保険局内
振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
東京都台東区上野山下町二
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/19
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇