【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者 国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1
[歴代厚相物語](13)
二代・政治家の父と子
林譲治氏(上)
大野光義
林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18
林さんは土佐の宿毛で、
明治二十二年の三月二十四日、
——それは、明治維新の後、
藩閥政治を打倒の急先鋒であった、
林有造翁の次男に生れた。
この地は宿毛湾に面して、
北に金毘羅さまが祭られている武平山があり、
南には、林さんが辞世の句にある荒瀬山をめぐって、
東西に山脈が走っている。
その間を水がきれいに透き通る松田川も流れている。
―略―
ここでわたくしは、更に林さんの縁つづきにあたる
——小野梓という、
この宿毛の風土が生んだ、
隠れた自由民権法学の尊い学者について、
ふれる必要があると思う。
松村謙三翁は、「三代回顧録」の中で、
——小野氏は早稲田大学創立者の一人であり、
改進党創立の主要人物で大隈総理
(当時は党首を“総理”という)を助けて
幹事長をつとめた人である。」と言っている。
尚、小野梓について――
松村翁の郷里の富山県で、
大隈重信の改進党が組織される時、
翁の知人で、石黒という郷里の神社の宮司が
八方奔走した関係上、
小野梓にもらった書簡が残されており、
また松村翁は、
その内容にもつぎのように
ふれているのを注目したい。
——君方同志の努力で富山県に
改進党をつくってくれるそうで
まことに感謝にたえない。
ついてはその名称のつけ方を聞いてよこされたが、
それは改進党富山県支部というような名称は適当でない。
よろしく富山県立憲改進党とつけてほしい」というので、
改進党幹事長小野梓と署名してある。
明治十四、五年ごろと推定して誤りない。
そのころから政党に熱中した人たちの
意気が盛んだったとみえる。
富山県政党発達史の貴重な文献である。」
とも指摘されている。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年04月03日05:35
小野梓氏の書簡は、宮司の石黒俊鬯氏の発信に対する返事
【三代回顧録】松村謙三 著
機関誌 国民健康保険 一月号
(第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
東京都千代田区霞ケ関二ノ一
厚生省保険局内
振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
東京都台東区上野山下町二
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/19
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