【講座日本映画 1 (日本映画の誕生)】1985
著者 今村昌平 [ほか]編
出版者 岩波書店
出版年月日 1985.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/3
―― トーキーになってくるころはどんなでしたか。
福地 最初は、ディスク式トーキーといいまして、
ワーナーブラザーズ、
機械場へレコードテーブル置いて、
映画のスピードと合わせて
レコードで音楽を出してやっていた。
すぐダメになる。
磨滅しますから一週間もたないですよ。
ラブシーンに雑音が出たりなんかして問題にならない。
ソーレみろ、そんなトーキーなんてダメだよ、
音が出るときだけで一週間もたないんだから、
映画説明は永久にわれわれの仕事として続くんだ、
大部分そういう意見だった。
そのうちにフォックスの『進軍』『マーチング・オン』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/165
という二巻ものの映画がまいりました。
これがフィルムトーキーなんですよ。
これはえらいことになったなと思いましたら、
夢声が
「あきらめなよ、
どう頑張っても人力車がタクシーに
かなうわけないんだから」
「じゃ、われわれ失業者ですね。
ルンペンインテリだ」
「バカなこと言うんじゃない、
失業者じゃない。
失業というのは事業そのものはあるんだよ。
クビになったのが失業者だ。
われわれは事業そのものが滅びちゃったんだから、
失業者じゃない。
滅業者だ。
胸を張って歩けよ」
そういって励ましてくれましたが、
お互い悩んだですな。
―― 当時の同僚、いっぱい弁士がおられて、
日本ものなんかをやる人と全然違いますね、
徳川夢声、福地さんなんかは。
福地 まるっきり違う。
たとえば下町ふうの、
浅草ふうという邦画の方がいます。
浅草ふうというのは、歌うと言いまして、
全部しゃべるんでございます。
映る前から前説(まえせつ)をやって、
終わりまで。
終わりのマークが出るまで、
「ナントカナントカで、
円満なる解決をつけるに至ったという、
これをもって全巻の終わりであります」、
全部しゃべる。
夢声は逆なんです。
よけいなことをしゃべるな、
映画あっての解説者なんだから。
一番いけないのは、ドア説明だ。
ドア説明というのは何ですかというと、
廊下があるだろう、
向こうから男性と女性が歩いてくる。
女性がドアをあけて中へ入る、
続いて男性が入る、
こういうシーンがあるとすると。
と、
「先に立っているメリーは、
扉に手をかけて開くと中へ入る。
後から彼は続く」
こういうことをしゃべる、
これがドア説明。
そんなもの見ていればわかるじゃないか。
何のためにそれをしゃべらなければいけないか。
何か特別な意義のあるアクションならば、
それはしゃべらなければいけない。
さもないことはしゃべる理由がないと、
私に懇々と教えてくれました。
私が夢声に、ドア説明をやめろといわれたこと、
これがああそうかとは思って聞いていたんですが、
一番ショックを受けて、
はっきりしたのは、
武蔵野館時代に説明者室御中という
無名のはがきがまいりまして、
僕はこの一年間あなた方の説明ぶりを研究してきたが、
石野馬城氏は七〇%しゃべっている。
山野一郎氏は五〇%しかしゃべらない。
徳川夢声氏に至っては三〇%しかしゃべらない。
しかも最もこの三〇%が印象的である。
これだと思った。
つまり夢声が一番はっきりつかんでいたんですね。
夢声は僕らに、
お客の側になって見た場合に、
見終わった後で、はてな、
いまの映画には弁士がついていたかしらんと、
自問自答するという場合が一番成功したときである。
あすこでうまいこと言ったぜなんて、
そういうものじゃないんだ、
ということを繰り返し言ってました。
あくまでも映画あっての弁士だと。
―― その後はどうされましたか。
福地 で、夢声は結局浅草へいって、
古川緑波と一緒に喜劇の「笑いの王国」をやった。
そのうちに放送のほうも、
JOAKが「映画物語」というのをやった。
「宮本武蔵」のずっと前ですが。
「サロメ」だとか、
「ジークフリード」というのを
夢声に三〇分ぐらいやらしている。
それで声優に彼はなった。
われわれもおかげでNHKへ出入りができて、
一週間に一回ずつ漫談を自分たちで考えだして
ずっとやりました。
それで糊口をしのいだわけです。
そのうちにP・C・L映画。
そうするといままでの俳優さん、
スター連中はダメ、しゃべれない。
いままではこれでパッと消えると
字幕が出て弁士がやっていた。
自分でしゃべらなければ
いけないということになると、
大変ですよ。
そこへいくと、
徳川夢声とその一門はしゃべることは平気だ。
とにかく入ってほしいというので、
凖専属というので、五〇円、拘束料。
優先的に撮影所の仕事をする。
あとは、一本幾らという手当を出すというので、
『唄の世の中』(一九三六)というのを
P・C・Lが撮りまして、
私は、はじめてその中でチンドン屋をやりました。
その次に『東京ラプソディ』、
主題歌が「花咲き花散る宵も……」というやつ。
藤山一郎主演で、伏水修という監督。
これで私は抜擢されて、
レコード会社の宣伝部長の役をやりました。
それから映画にちょいちょい出るようになった。
一回出ますと三〇円から五〇円、
十分めしが食える。
そのころ夢声が一五〇円かな。
凖専属料、何もしないでも。
そのうちに『彦六大いに笑ふ』という三好十郎の。
あのシリーズで夢声は一躍スターダムに上がった。
それにつれてわれわれも映画に出る。
映画の仕事のないときは、
そのころ映画館でアトラクションというのがはやりまして、
俳優がごあいさつに出る。
歌を歌ったり、踊ったり、その司会者。
私は歌うたいの人たちとも知り合いになり、
ずっと長いことやりました。
戦後になって、東宝の大争議、
このときにこっちは旗を振ったほうです。
それから今日に至っている。
俳協というところに所属しまして。
福地悟朗(1985年)
〔画像〕p166【講座日本映画 1 (日本映画の誕生)】1985
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日本映画の誕生
講座 日本映画1(全7巻・第1回配本)
一九八五年一〇月二三日 第一刷発行
定価二八〇〇円
発行者 緑川 亨
発行所 株式会社 岩波書店
〒101 東京都千代田区一ツ橋2-5-5
電話03-265-4111
振替東京6-26240
印刷・凸版印刷 製本・永井製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/186
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