【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
出版者   台湾芸術新報社
出版年月日 1939-01
p1【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
〔画像〕p1【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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島都 四絃界のお師匠さん

旭會 大塚旭海師
◆島都四絃界の最古參者として
臺北旭會の代表者たる
大塚旭海師は何んと云つても
彈法としては島内に於ける第一人者たることは
斯界に於いて認められて居る、
同師門下よりは幾多の法山號や旭號
允許者が出て居ることを以ても
如何に斯界に盡して來たかを語るものがある、
一時は島都四絃界も素晴しく
黄金時代を出現したこともあるが
近來は頓と沈靜して居るやうだ、
昔日の隆昌時代を再現さるゝ日を期待してをく。

旭會 内野旭蓉師
◆JFAKのマイクを通じて内野旭蓉師は
その艶麗なる彈聲を聽するので
市民としてもマイクを通じて馴染の深いものがある、
同師は隈部旭構師の門より出たものだが
現在島都四絃界の花形として
力あるお師匠さんと云ふのだ。
先般は日本全國旭會大會には臺灣代表として出演し
其技の卓抜たるを全國の會員に示したことは
大きな譽と云つて良い。

八州會 石井旭豊師
◆臺北八州會の代表者、
石井旭豐師は斯界としても可成り永い間
敎授して來られたようだ、
同流には上田旭昇師、木の下旭靜師、
其他幾多の師もあつたよふだが
爾來更に絃聲を斷つて靜かなものだ、
歷史上の人傑に或ひは其史蹟に良風を傳ふる四絃が
何故か斯る低調を示したことは
眞に遺憾の極みだ。
斯界に於いての花形だつた
永江旭艶師は花柳界に身を轉じ、
石田旭靖師は女給に轉向を見せるとか
斯界の振はざることは殘念だ、
どうか本年こう
昔日の隆昌時代の復活を祈る。

旭會 梅下旭洲師
◆斯界に於ける矢張古參株にて
彈法に於いても確かなものがある、
近來では劍舞なぞも大いに研究して居るようだが、
筑箭󠄀琵琶としてもお稽古づけをして居るようだ、
同師なぞは斯界鼓吹に
もつと力を盡して貰ひたいものだと期待してをく。
p39【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
〔画像〕p39【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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毎月一回一日發行 第五巻第一號
昭和十三年十二月廿八日印刷
昭和十四年 一月 一日發行
編輯兼發行人 赤星義雄
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發行所    臺灣藝術新報社
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