きたおあきお様
コメント、ありがとうございます。

2025年05月27日 11:28
白洲退蔵の娘と死別した服部俊一氏の後妻が
三重県・伊藤為吉の妹との情報ありますが、
この伊藤為吉が千田是也の父なのか
調べていますが確認できません。
もし、ごぞんじであれば、
SNSの「note」上にある投稿の(推定)人脈相関図に
コメントを寄せていただきたいです。
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伊藤辨次郎 伊勢松坂の人
 男  伊藤爲吉
 次女 喜美子 キミ
    服部俊一 後妻
舞踏の伊藤道郎氏、舞台装置の伊藤熹朔氏、
新劇の千田是也(伊藤圀夫)氏、
建築の伊藤貞良氏、音楽の伊藤翁輔氏等は
伊藤為吉の芸術家兄弟であり、
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【時計の回想 : 随筆】1966
著者    平野光雄 著
出版者   明啓社
出版年月日 1966
  昔の東京遊覧と服部の時計台
https://dl.ndl.go.jp/pid/2509813/1/37
この伊藤為吉の略伝が明治三十三年版の
「現今人名辞典」に見えているから、
次に摘録紹介しておきたいと思う。
『君は伊勢松坂の人、伊藤弁次郎氏の男なり、
 元治元年一月十七日生る、家世々医を業とす、
 君幼にして、数理を研究し、就中機械学を好む(中略)
 明治十八年米国に航し桑港に滞留(中略)
 伊太利建築師ヂー・カペレーチーの助手となり(中略)
 明治二十年故あり遂に帰朝せり(中略)
 君は建築技師として幾多の洋館設計に与る(下略)』
 ―略―
ちなみに舞踏の伊藤道郎氏、舞台装置の伊藤熹朔氏、
新劇の千田是也(伊藤圀夫)氏、
建築の伊藤貞良氏、音楽の伊藤翁輔氏等は
伊藤為吉の芸術家兄弟であり、
また、いまの服部ビルの設計は渡辺仁氏、
施行は清水組によっておこなわれたことも、
ついでに書きそえておこう。
(昭和三十三年六月)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2509813/1/39
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【日本現今人名辞典】明治33年
出版者   日本現今人名辞典発行所
出版年月日 明33.9
◎伊藤爲吉 いとう、ためきち
君は伊勢松坂の人
伊藤辨次郎氏の男なり
元治元年一月十七日生る
 ―略―
(東京市神田區三崎町三ノ一)
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【明治・大正・昭和日本徳行録】昭和4年
著者    読売新聞社 編
出版者   読売新聞社
出版年月日 昭和4
紺綬褒章受賞者
故 服部俊一氏
工學博士 東洋紡績株式會社取締役
現住所 東京市下谷區上野櫻木町二三
嘉永六年三月八日生
 ―略―
年少にして氣鋭、覇氣の鬱勃たる氏は、
大學を卒業すると同時に農商務省兵庫造船所に奉職し
機械課長として其の蘊蓄を傾け、
滿五ヶ年間職務に精勵して多大なる功績を擧げたが、
此間神戶の人白洲退藏氏の長女駒子と結婚し、
※長女駒子:元治元年十一月二十六日生
新職業と新家庭とを同時に握つて、
極めて幸福なる生活を營んで居た。
 ―略―
然るに夫人駒子は、
夫君の外遊中能く家庭を収め、
五人の子女を敎育して、
賢婦人の聞え高かつたが、
不幸病魔の冒す處となり、
明治二十八年二月廿一日、
夫君の大成を見ずして長逝したのは、
氏の哀悼惜く能はざる處であつた。
其歳八月一日伊藤辨次郎氏の次女喜美子を迎へ
※次女キミ(慶應三年七月五日生)
再び幸福なる家庭を作ると共に、
喜美子夫人も沈着にして貞淑、
毫も氏に後顧の憂ひ無からしめたので、
氏は常に靄々たる和氣の裡に活躍しつゝ、
本邦紡績界の爲めに其巨腕を揮ふ事が出來た。
https://dl.ndl.go.jp/pid/8312033/1/157
※【大日本徳行録 第1巻】昭和18年
出版者   大日本徳行録刊行会
出版年月日 昭和18
※長女駒子:元治元年十一月二十六日生
※次女キミ(慶應三年七月五日生)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1039755/1/156
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【神戸と基督教 : 神戸キリスト教100年史】1975
著者    吉野丈夫 著
出版者   神戸伝道百年史刊行会
出版年月日 1975.12
話は少しく余談にそれるが、
神戸再度筋教会の服部廉輔長老の父は、
東洋紡の創立者、工学博士、
服部俊一(名古屋教会長老)であった。
この俊一博士夫人、白洲駒子は、
白洲退蔵の長女で、
神戸女学院の卒業生、
松山高吉から洗礼をうけた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12289978/1/52
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【人事興信録 7版】大正14年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 大正14
《服部俊一》 工學博士、元東洋紡績(株)取締役
       東京府平民
 養母 ミツ 弘化元年生、山口、士族、神保素介妹
 妻  キミ 慶應三年七月生、
       三重、伊藤爲吉妹
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【文京区史 巻3】1968
出版者   東京都文京区
出版年月日 1968
自力で会堂を建設したのは美談というべきである。
この伊藤為吉は、
実に伊藤道郎・伊藤喜朔・千田是也三兄弟の父であり、
服部俊一の義兄である
(この教会が現在の西片町教会の前身である)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3034812/1/478
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【植村正久と其の時代 第2巻】
著者    佐波亘 編
出版者   教文館
出版年月日 昭12至13
明治二十五六年頃、神田三崎町に、
伊藤爲吉といふクリスチヤンの「米國建築師」?が、
耐震耐火耐風といふお椀をふせたやうな洋風の家屋を建て、
道行く人の注意を惹いた。
少年時代の編者も、目を丸くして見上げたものである。
この人の近親に後の服部俊一夫人がある。
しかして、
伊藤道郞といふ在米邦人舞踊家で、
相當名の知れてゐるのは、
彼の長男であり、
編者は、日曜學校にて彼を敎へたことがある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1261327/1/360

【植村正久と其の時代 第5巻】
著者    佐波亘 編
出版者   教文館
出版年月日 昭12至13
駒込敎會の米國建築師
伊藤為吉(服部俊一夫人の兄)の設計と監督による
https://dl.ndl.go.jp/pid/1261404/1/109

【私の演劇手帖】1959
著者    千田是也 著
出版者   筑摩書房
出版年月日 1959
p3【私の演劇手帖】1959
〔画像〕p3【私の演劇手帖】1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/2489878/1/3
父の伊藤為吉は明治初年にアメリカで苦学して、
洋式大工術を勉強してきた人で、
十四年前に八十歳で死んだが、
だいたい辰野隆先生の御先代金吾博士と
同時代の建築家である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2489878/1/138
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