kyotoshimbun いま、ふるさとの君たちへ
2019/5/7(PDF印刷を行った日)
丹波発 ふるさとの君たちへ
雷、振り子に「なぜ?」
考え、考え、自ら納得
坂部 行雄さん(村田製作所執行役員・京都市)
(平成15年(2003)3月2日掲載)
3歳にもなっていなかったある日、
夕立で雷が落ちたと聞きました。
6歳上の姉にせがみ、
土砂降りの中を九手神社(京丹波町豊田)まで
背負って連れて行ってもらいました。
落雷のあった電柱を見上げ、
「雷がおらん。早く連れてきてくれなかったからだ」
と姉を困らせたことを思い出します。
これが自然に対する好奇心の始まりかもしれません。
物を見て「何で?」とうるさい子どもだったようです。
高原小(現丹波ひかり小)まで自宅から約4キロ。
今の健康は、通学で鍛えられたおかげです。
理科室が、科学への興味の原点です。
ガラス戸棚に並ぶ教材は種類が多く、
触れたくて仕方なかった。
キュリー夫人ら科学者の実験を描いた
ポスターも張ってありました。
なかでもフーコーが揺れるシャンデリアを見上げる姿が
格好よかったが意味が理解できず、
「なぜだろう」と考え続けていました。
修学旅行で東京の国立科学博物館に行き、
高い天井からゆったりと揺れる振り子を見て
霧が晴れるように理解できたことを思い出します。
このころ、担任の山田博三先生から
太陽、月、地球の運行模型、
水面での光の屈折、摩擦による静電気など
楽しい実験を見せてもらいました。
高原小は統合されましたが、
教材がどこかに引き継がれていることを
願わずにいられません。
[写真]
米セラミックス学会でフェローの称号を贈られる
(左=2000年・米セントルイス市)
「木とボルトは同じ温度なのに、
ボルトに触れるとなぜ冷たいのか」。
蒲生野中では、樋口恒夫先生から
木造校舎に飛び出していたボルトを示され、
興味深い質問を通じて高度な興味を植え付けていただきました。
本で知っていても実体験までは時間がかかりました。
初めて海を見たのは小学6年。
宮津の由良海岸は想像より大きく、
水は塩辛く、水平線のわずかな湾曲に地球を実感。
感動して眺めました。
臨界点に達するまで考え続ければ、
自然がヒントを与えてくれます。
今は、いや応なく目と耳から絶え間なく情報が入り、
想像を温める余裕がなくなっているのでしょう。
私は、電流をためたり流したりするコンデンサを小型化し、
安く量産するための研究をしてきました。
パソコンや携帯電話に欠かせぬ部品です。
1ミリにも満たぬ大きさですが、
地道な研究と「だれもやっていないものを創る」
という技術者の情熱を蓄積しています。
子どもの好奇心は自然教育環境からの刺激に揺さぶられ、
創造力の源泉になります。
幸い、口丹波には豊かな自然があります。
おう盛な好奇心で科学技術を志す諸君にエールを送ります。
(平成15年(2003)3月2日掲載)
さかべ・ゆきお
昭和20年(1945)高原村(現京丹波町豊田)生まれ。
高原小、蒲生野中、須知高を経て金沢大大学院修士課程修了。
村田製作所入社、セラミック積層コンデンサ開発などに従事。
京都大学工学博士。
東京大学、大阪大学など非常勤講師。
日本セラミックス協会副会長。
京都市西京区在住。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月20日09:08
田中哲郎教授:[清流]第24号:《弔辞》椹木義一 p3
[村田恒夫]
村田製作所代表取締役社長
1951年、京都府生まれ。創業者・村田 昭の三男。
同志社大学経済学部卒業後、村田製作所入社。
同社ドイツ現地法人社長などを経て、'89年に取締役就任。
2007年より現職。'12年に向けた中期経営計画を進めている。
「当社はベンチャーとして出発しました。
その際、京都大学の先生とのお付き合いがあったからこそ、
事業を拡大できたと思います」と、理科少年集団のドン・村田恒夫氏。
1950年の会社設立当時には、
京都大学工学部の田中哲郎教授とともにチタン酸バリウムを使った
セラミックコンデンサを開発。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
![坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _1](https://livedoor.blogimg.jp/kazuo1947/imgs/8/d/8d4a5606-s.jpg)
![坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _2](https://livedoor.blogimg.jp/kazuo1947/imgs/2/1/21789b88-s.jpg)