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[戦後80年・私と敗戦]横田早紀江さん 
9歳だったあの夏、疎開先のひもじさ一転、希望に
   2025年08月04日 05時10分 新潟日報
疎開先での写真を手に当時の苦労を語る横田早紀江さん
 暑い一日だった。9歳だった私はあの日、
疎開先で現在の京都府京丹波町の龍心寺にいた。
鬼ごっこだったろうか、友達と寺の庭で遊んでいた。
突然、雑音と共に大きな音量の声がラジオから聞こえてきた。
厳かだが、何を言っているのかまったく理解できなかった。
ただ住職さんや先生ら大人が神妙な顔つきで
聞き入っていたのを思い出す。
 疎開先の現京都府京丹波町で学友との記念撮影-00
〔画像〕疎開先の現京都府京丹波町で学友との記念撮影-00
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【和知町誌 第2巻】1994
著者    和知町誌編さん委員会 編
出版者   和知町
出版年月日 1994.3
 p4【和知町誌 第2巻】1994
〔画像〕p4【和知町誌 第2巻】1994
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/4
  四 学童疎開
昭和二十年三月三十日、
上和知村は京都市七条第二国民学校の
集団疎開児童一六〇余名、
付き添い訓導八名を受け入れ、
子供たちは村内各寺院を寮として本校に学んだ。
善入寺・祥雲寺・甘露寺・長泉寺・東月寺の
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/428
五寮は本校に、
地蔵院・昌福寺の二寮は下粟野分校に通学した。
昭和二十年八月十五日終戦となり、
十月十八日集団疎開児童は帰校した(「事務報告」)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/429

下和知村は朱雀第一国民学校の疎開を受け入れ、
龍福寺・太虚寺・龍心寺・東寓寺・
長源寺・福昌寺・曹禅寺・
坂原区公民館がそれぞれ寮舎に充てられた。

 表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
 表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
〔画像〕表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/429
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