【内村鑑三伝:米国留学まで】1986
著者    鈴木俊郎 著
出版者   岩波書店
出版年月日 1986.1
p3【内村鑑三伝:米国留学まで】1986
〔画像〕p3【内村鑑三伝:米国留学まで】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267282/1/3

彼女(浅田タケ)が転入学したと
「家譜」に記載されている
「横浜山手二百十二番普通学校」という学校は、
今日の横浜共立学園の前身であり、
その呼称はその学校の正式の校名ではなかった。

この学校は明治四年八月に
横浜山手四十八番館において開始された
「亜米利加婦人教授所」
(American Mission Home)にはじまる。

これには中村正直(敬宇)識すところの
「亜米利加婦人教授所告示」
と題する生徒募集案内文があり、
その教授所の性格や内容が素朴に記されている。

この「ミッション・ホーム」は、
アメリカにおいて一八六一年に
ドリーマス(Doremus)夫人の主唱によって創立された
「米国婦人一致外国伝道協会」
(The Woman’s Union Missionary Society of 
 America for Heathen Lands)
が日本における女子教育と混血児救済の機関を
設置しようとする活動によるものであった。

それは実質的にはキリスト教主義による
家庭組織の塾舎であった。

のちにこの
「亜米利加婦人教授所」の名は
「日本婦女英学校」
(English School for Japanese Ladies)、
さらに
「共立女学校」と三度変更されたが、
アメリカ名は伝道協会創立者ドリーマスにちなむ
‘Doremus School’ で終始しているという。

明治五年(一月)、 ※「日本婦女英学校」
生徒が増加したにともない、
学校はその創立地の
山手四十八番から山手二百十二番に移転し、
それ以来その校地の呼び名によって
「二百十二番」と通称されるようになった。

校名が明治八年ごろ
「共立女学校」と改称されたのは、
この学校を創立した「米国婦人一致外国伝道協会」が、
アメリカにおけるプロテスタントの
各教派の属する婦人たちによって
一致して外国伝道のために働こうとして
組織されたものであって、
協会自身はいずれの教派にも属せず、
超教派的ないし教派聯合的な存在であり、
Union Missionary Society
という名称のその
Unionなる語が
そのことを示しているところから、
Unionを「共立」と訳して校名に用い、
また単に「英学校」であるのではなく
教科の内容は広く「女学校」であるのが
適当であると考えられたところから、
「共立女学校」と改称されるにいたったという。

そのことは同時に、
明治十四年に創立以来の校長ピアソン
(Louise Henrietta Pierson,1832-99)
によって後の共立女子神学校の前身である
「偕成伝道女学校」が併設されたことから、
伝道女学校が伝道部であるのに対して、
この女学校の方は普通部と考えられたのである。

前記「家譜」に見える
「二百十二番普通学校」という名称は、
当時同校に対する一般的の呼び名であったであろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267282/1/184
(13) 以上の共立女学校の歴史に関する部分は、
 上引の『恩寵と偕に八十年—横浜共立学園八十年史—
 明治四年~昭和二十六年 1871-1951』
 (神保勝世編)からの適期摘記によるものである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267282/1/393
内村鑑三伝
一九八六年一月二一日 第一刷発行
定 価 九八〇〇円
著 者 鈴木俊郎
発行者 緑川 亨
発行所 株式会社 岩波書店
    〒101 東京都千代田区一ツ橋2-5-3
    電話03-265-4111
    振替東京6-26240
印 刷 精興社
製 本 牧製本
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