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文献名1 大本七十年史 下巻
文献名2 第6編 >第4章 >3
王仁三郎らの保釈よみ(新仮名遣い)
文献名3 中矢田農園よみ(新仮名遣い)
著者 大本七十年史編纂会・編集
一九四四(昭和一九)年をむかえて、
聖師・すみ子をはじめとする
出口家の人たち二〇人は中矢田農園で、
また直日・日出麿の一家六人は
竹田町で新春をいわった。
この年の一月一〇日に
聖師の二女むめの は田上隼雄(虎雄)と結婚した。
三月には中野岩太の一家が
東京から疎開して中矢田に移住し、
宝生流の謡曲や仕舞のけいこもはじめられた。
聖師やすみ子は、
綾部や竹田をおとずれることがおおくなり、
直日らも竹田からたびたび中矢田にかえって、
その交流もさかんであった。
聖師は五月三日に
兵庫県の籠坊温泉にいって入湯保養した。
随行の人は森慶三郎・松浦くに子であったが、
聖師の神経痛がはげしくなったので
南靖雄が手伝いにくわわった。
痛みは全癒しないまま同月二五日には帰宅した。
八月三〇日(旧七月一二日)は聖師の誕生日なので、
直日はじめ出口家の人々がそろって夕食をともにし、
仕舞などをして心からこの日をいわった。
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