【小野梓全集 第4巻】1981
著者 早稲田大学大学史編集所 編
出版者 早稲田大学出版部
出版年月日 1981.3
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/3
八三 東京廓外皆な墓地とならん
武平山人
本年は如何なる年の回り合せにや、
此の春以来
山人(小野梓)は屡(しばし)ば
朋友親戚の喪に偶(あ)ひ、
青山の墓地へ三回、
谷中天王寺の墓地へ二回計(ばか)りも
弔ひに赴きたり。
その弔ひに往く度毎に東京の郊外は
皆な墓地と為らん乎と思ふ杞憂を起こせり。
そは何故ならんとなれば、
別義にあらず、
近来何故か無暗滅法に墓地を広くし、
矢鱈(やたら)無性に広大なる石碑を建つるの風儀流行して、
何某家の墓は百坪、
何某氏の墓は五十坪などと、
時としては一人の死骸を葬りたる墓地が
小遊園と見まがふ計りの広大なるものあり。
随分立派といへば立派なり。
然れども余り法外に墓地を広大にして之を誇るは、
死者へ追福に似て反つて追福ならず、
況(ま)して東京の如き
死人の多き割合に葬地の少き所の在ては、
無法に之を広くするは甚だ宜しからざる事なり。
且つ衛生上より申せば、
墓地の余り広がるは住民の健全を損ふ基にて、
是れ又た好ましからざる事なり。
加之(しかのみ)ならず
これを広大にするの風俗次第に盛んなれば、
心有る人も外聞の為めや
知己朋友の手前を思ひ之を狭くするを得ず、
狭くすれば死者を麁末(そまつ)にするが如きの
譏(そし)りを招くが為め、
心ならずも無法の仲間に入ることあるべし。
是れ又た墓地を無暗に広大にするの流弊といふべし。
故に山人(小野梓)は
墓地規則を設け凡(すべ)て其度を定め、
如何なる人にても
其度を超ゆる事の出来ぬやうに
いたしたく思ふなり。
迚(とて)も今の様にて往かば、
二十年を出ずして
東京の廓外は皆な墓地と為るに至らん。
慎むべし、慎むべし。
頃日(このごろ)又た先年亡ひし
小児の墓を弔ひたる時
その弊を思ひ出したれば、※下記
帰宅や否や早々筆執り記しぬ。
(『読売新聞』一八八四年六月二一日)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/305
※ 576頁 17行
頃日(このごろ)又た先年亡ひし
小児の墓を弔ひたる時
その弊を思ひ出したれば
小児とは、
一八八一(明治一四)年九月一〇日に生まれ、
翌八二年六月六日脳水腫で死んだ
鉄麿(かねまろ)のことをさす。
八四年(明治17)六月六日、三回忌に当るため、
小野が谷中天王寺の墓に詣でたことが、
「留客斎日記」(本全集第五巻所収)の同日条にみえる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/364
昭和五十六年三月三十一日発行
小野梓全集 第四巻
編集者 早稲田大学大学史編集所
発行者 早稲田大学
東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所 早稲田大学出版部
東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/412
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

