【雷鳴の山口組 (徳間文庫)】1982
著者 飯干晃一 著
出版者 徳間書店
出版年月日 1982.9
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/2
3 雷鳴の京に首領(ドン)は斃(たお)れた
京阪三条駅前、クラブ『ベラミ』
昭和五十三年七月十一日の夜。
あの吉田芳弘射殺からじつに一年十カ月が経っていた。
京都は夕刻になって、前線の通過にともなって、
熱雷が発生し不気味な稲妻とともに雷鳴が轟いた。
雨足ははげしくなり、
東寺の塔、京都タワー、二条城などが
青白い閃光を浴びて夜空に浮かびあがり、
花見小路でははげしい雨を避けて酔客までが走った。
京阪三条駅前のナイトクラブ『ベラミ』は
夏枯れのせいもあって入りが悪い。
そしてこの夜のショーは
“うたとリンボーダンス”だった。
午後九時二十五分。
すでに京都を襲った雷鳴は遠のき、雨もやんだ。
『ベラミ』の舞台。
外人リンボーダンス“ルークール”が終わり、拍手がおこった。
スレージの下手(しもて)寄り二列目のテーブルに、
山口組三代目田岡一雄組長がいた。
さすが首領(ドン)と呼ばれるだけに貫録は十分で、
髪は短く、目に光のある人物である。
彼は心臓の疾患をもっていたから
アルコールは口にせず、
オレンジジュースだった。
しかしリンボーダンスのショーをたのしんだ。
奥のテーブルにいた若い男が、
この時いきなり立ちあがった。
彼は一歩踏み出すようにすると、
田岡一雄組長を狙って拳銃を両手で構え、腰をおとした。
一発、二発。男は拳銃を撃った。
のちにわかったことだが、
この拳銃はコルト38口径、
コルトスペシャルと呼ばれるものである。
山口組三代目は頸(くび)を撃たれたのだ!
「うっ」
思わず田岡一雄組長はその首をおさえた。
一瞬のうち、それがどういうことなのかわからなかった。
田岡一雄組長の席よりステージ寄りにいた
左京区安井病院の安井浩副院長は右肩に弾丸が当たり、
もう一発は同病院の津島信則神経科医長に
右背中から腹部に達する銃創を与えた。
これは気の毒にもまったくの飛ばっちりであった。
二人の医師が倒れたのを見て、
一人のホステスはおどろきのあまり失神した。
安井浩副院長らは新任の医師歓迎会で二次会として
『ベラミ』に居合わせたのである。
撃った男は拳銃を構えたまま、
「どけ、どけっ!」
とわめいて、入口から逃げた。
この時、護衛の一人、羽根組組長羽根恒夫は
そろそろひきあげる時だ、とレジで精算をして、
ついでにいわゆる“田岡御殿”に
田岡一雄組長が帰ると電話をし、
受話器を握っている最中だった。
羽根恒夫は異変に気づいて、
首領(ドン)のテーブルにかけ戻った。
首領(ドン)を撃った男とすれ違いになったのは
まさに皮肉なことであった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/38
山口組三代目のお供をしていたのは、
細田組組長細田利明(山口組若頭補佐)、
仲田組組長仲田喜志登、
弘田組組長弘田武志、
それに羽根恒夫の四人だった。
首領(ドン)が撃たれた!
「追え、追えっ!」
血相を変えた
細田利明と羽根恒夫は男のあとを追ったが、
狙撃犯人の姿は闇のなかへ消えていた。
“奇蹟”というか、
頸を撃たれた山口組三代目はしっかりしていた。
自らハンカチで出血をおさえて、
「わしは大丈夫や。
隣の撃たれた人を早よう病院に運んであげにゃ」
青くなってすっ飛んできた
『ベラミ』のママの山本千代子に
田岡一雄組長はおちついて言った。
『ベラミ』のなかは騒然としている。
-略-
事件後三十分、新聞記者たちが殺到してきた。
「撃たれたお医者さんの安井病院といえば
トラさん(蜷川虎三前京都府知事)の主治医の病院じゃないか」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/39
しかし『ベラミ』のホステスのなかには、
山口組三代目の顔をよく知っている者がいて、
田岡一雄組長が負傷した“事実”をみていた。
「なにっ! 首領(ドン)が撃たれた?」
記者たちは撃たれた客のなかに
山口組三代目田岡一雄組長がいたと知って愕然とした。
彼らはいっせいに電話に飛びついた。
午後十時十分。
-略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/40
-略-
手術の終わった山口組三代目は、
かけよった組幹部たちに、
「こんなに見舞いにきてくれたら、
わしのほうが気をつかう」
と軽口を叩くぐらいに元気で、
五〇六号室にはいった。
田岡一雄組長には夫人の文子さん、
長男の満(みつる)氏がつきそった。
いっぽう『ベラミ』で、
流れ弾に当たった二人の医師は
救急車で自分たちの安井病院に運ばれ、
午後十一時から
足立道五郎院長自身の執刀で手術が行なわれた。
安井浩副院長の右肩からは比較的楽に弾が摘出され、
三週間の傷で済んだ。
津島信則神経科医長は腸で弾丸がとまり、
出血もひどいので手術はむつかしかったが、
足立道五郎院長は五時間に及ぶ大手術の末
ついに弾丸の摘出に成功した。
そして二カ月の重傷で済んだことに
関係者の愁眉はやっと開かれた。
手術の終りと同時に夜は明けた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/41
(この作品は1979年3月徳間書店より刊行されました)
徳間文庫 雷鳴の山口組
1982年9月15日 初刷
著 者 飯干晃一
発行者 徳間康快
発行所 株式会社 徳間書店
東京都港区新橋四ノ一〇 〒一〇五
電話(〇三)四三三・六二三一(大代)
振替 東京四ノ四四三九二番
印刷 製本 凸版印刷株式会社
<編集担当 石井健資>
https://dl.ndl.go.jp/pid/12483761/1/97
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年05月02日11:26
《足立道五郎》安井病院 院長
【近畿病院名簿 1980年度版】昭和54年(1979)
信和会 安井病院 左京区田中飛鳥井町89
最終学 卒年度
杉山 茂 小(顧問)京都大学 昭和 6年
足立道五郎 院 長 京都大 昭和15年
安井 浩 副院長 京都大 昭和33年
藤井 洋一 事 四条商 昭和23年
小坂喜美子 内 東京女医専 昭和10年
馬杉 雄達 内 慈恵医大 昭和22年
津島 信則 神 東北大 昭和33年
藤村喜代治 外 京都府医大 昭和30年
三渕 浩道 薬 京都薬大 昭和38年
藤坂 邦彦 検査技師 兵庫職補 昭和33年
椎名 国夫 X線技師 千葉大技師学 昭和34年
西原 はる 総婦長 府医師会助産 昭和20年
鈴鹿日出子 副総婦長 大阪厚生学 昭和20年
平田 栄子 婦長 樺太庁豊原病院看養 昭和11年
民谷 清美 婦長 近畿高看 昭和51年
篠本 京子 婦長 京都大看学 昭和44年
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【近畿病院名簿 1984年度版】昭和59年
出版者 医事日報社
出版年月日 1983.12
https://dl.ndl.go.jp/pid/12089338/1/1
安井病院 京都市左京区田中飛鳥井町89
足立道五郎 院長、外 京都大学 昭和15年
安井 浩 副院長、内 京都大学 昭和33年
津島 信則 精・神 東北大学 昭和33年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12089338/1/119
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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