【流転の青春:中国人民解放戦争従軍記】1986
著者    横山甲子蔵 著
出版者   [横山甲子蔵]
出版年月日 1986.4
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   黒石鎮における最初の病院建設
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 第二後方病院編成表
一所の主治医生は、
最初 池田先生
(元牡一院教育隊長軍医少佐、
 池田先生は西先生とも呼んでいた。)

二所の主治医生は、
足立(道五郎)先生
(元ハルピン第五七陸軍病院軍医大尉)であった。

池田先生は一ケ月ほどしてハルピンの病院に転勤になり、
その後、太田先生(元牡一院軍医大尉)が
一所の主治医生を担当していたが、
負傷兵の増加で三所が増設されたため、
太田先生は三所の主治医生に変り、
足立(道五郎)先生が一所の主治医生となり、
二所の主治医生は西垣先生(元牡一院軍医大尉、博士)
が担当することになった。

一所に足立(道五郎)先生・二所 太田先生と
元日本陸軍病院の優秀な軍医が主治医生となり、
さらにその下に多くの
日本人軍医・元衛生兵・日赤・満赤・陸看の看護婦がおり、
また薬局には薬剤師の太田先生が、
化験室(病理検査室)には
詫間先生(元衛生准尉)や平野さんといった
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病理検査のベテランが配置され、
病院としての機能が整った。

日本軍の敗戦後解放軍に参加した元満軍の軍医や、
ハルピン医大をでた中国人の医生もいたが
その数は少なく、
また技術水準も低く、
そのため第二後方病院における医療面の中枢は
日本人医療技術者がしめていた。

そればかりではなく、
経理の面にも院部の供給科に桐谷・大橋、
一所に和田、
二所に佐藤、
三所に伊藤といった
会計のベテランがおり、
その面でも大きな役割りを果していた。

その他にも工務班、洗濯班などにも
大勢の日本人が働いていた。

私たち飼養班は院部の管理科に所属し、
街はづれの地主の馬小屋に落ちついた。
牡丹江当時とは違い忙しく、
日本人だけでは間に合わくなり、
郭さんと王さんの二人がきて、
郭さんが班長をすることになって
私は副班長になった。

郭さんは背の高いがっちりした、
少しずるがしそうな男だったが、
私たち日本人にはとても親切で、
「小高子班長」(背の低い班長)といって
私をひきたててくれた。

王さんは馬の飼育以外には取得のなさそうな
典型的な老百姓で、
いつも にこにこしながら
楽しそうに馬の飼育をしていた。
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流転の青春 横山甲子蔵著
頒 価 4,000円
「流転の青春」
 中国人民解放戦争従軍記
1986年3月30日 印刷
1986年4月15日 発行
著 者 横山甲子蔵
〒399  長野県松本市芳川小屋256-9
    TEL 0263-58-9203
印刷所 中信凸版印刷株式会社
〒390  長野県松本市城西1丁目2-2
    TEL 0263-32-4209
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