【流転の青春:中国人民解放戦争従軍記】1986
著者 横山甲子蔵 著
出版者 [横山甲子蔵]
出版年月日 1986.4
https://dl.ndl.go.jp/pid/12177141/1/1
日本人の援朝参戦回避
<1950年(昭和25)>
九月十五日
米・韓連合軍は仁川に上陸作戦を敢行した。
この仁川上陸作戦によって
朝鮮半島の戦況は逆転し、
三八度線を南下していた北鮮軍は、
反対に三八度線以北に敗退した。
連合軍は三八度線を奪回した勢いで、
北へ北へ進攻し鴨緑江の線に迫ってきた。
<1950年(昭和25)>
十月八日
彭徳懐の指揮する
中国人民抗美援朝志願軍の第一陣は、
鴨緑江を越えて北朝鮮へ進撃した。
これと時を同じくして、
第二後方病院の日本人工作員全員に
漢口への移動命令がでた。
詳しい理由の説明はなかった。
院長も政治委員も、
「長い間解放戦争に協力してくれて有難う。
漢口に帰って学習したり、
また新しい工作に頑張るように。」
といって別れを惜しんでくれた。
牡丹江で第二後方病院が編成されて以来
三年有余言葉も十分通じない上、
立場も思想意識も違う中で、
中国人民解放戦争という壮大なドラマを
共に体験してきたこの人たちと、
いざ別れるとなると、
断ち難い惜別の情が湧いてきた。
この人たちは「抗美援朝 祖国防衛」
という大義名分を負って、
自らに与えられた職務の遂行に邁進していくであろう。
漢口に戻る私たちの前途には
なにが待っているのであろうか。
それは中国共産党だけしか分からないことだった。
病院では盛大な送別会を開いてくれた。
そしてお互いの健闘を祈り合った。
私たち百数十名の日本人は、
田中民幹・足立(道五郎)先生・太田先生を中心にして
三度漢口への旅にたった。
今度はきれいな旅客列車に乗せてくれた。
私は敗戦以来はじめて旅客列車に乗った。
日本人がなぜ抗美援朝志願軍から除外されたか。
中共側からの説明はなかったが、
おおよその判断はついた。
志願軍の中に日本人兵士が従軍していることの
国際問題化をおそれたのでないか?
十分考えられることであった。
一年前中華人民共和国が成立している。
新しい中国を承認した国は
まだソ連・インド・イギリスなど
二・三ケ国にすぎないが、
中共政府は も早や過去の日陰者ではなかった。
堂々と世界に新しい国家として宣言しているのだ。
解放戦争初期に私たち日本人を残留させたころとは
状況が変っていた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12177141/1/157
私たちの病院のように
大勢の日本人が行動を共にしていたところでは
この命令も徹底していたが、
戦闘部隊に三人・五人と少人数で
従軍していた日本人の中には、
朝鮮の戦場で戦い負傷した人たちもいた。
この人たちは、
名前を中国名に変えており、
数年の解放戦争のなかで、
区別のつかぬほど中国人に同化していた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12177141/1/158
流転の青春 横山甲子蔵著
頒 価 4,000円
「流転の青春」
中国人民解放戦争従軍記
1986年3月30日 印刷
1986年4月15日 発行
著 者 横山甲子蔵
〒399 長野県松本市芳川小屋256-9
TEL 0263-58-9203
印刷所 中信凸版印刷株式会社
〒390 長野県松本市城西1丁目2-2
TEL 0263-32-4209
https://dl.ndl.go.jp/pid/12177141/1/242
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