《吉田花子・吉田五三子・中島襄》吉田医院 丹波町蒲生
【医籍総覧 西日本版】昭和46年(1971)
コメント一覧
1. 藤岡真知子 2026年01月14日 19:18
医籍総覧に、吉田花子の事を書いていただき
ありがとうございました。
吉田花子は、私の母です。
昨年、ネットnoteに、
花子のペンネームで、
母の昔話を書きました。
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桜子先生 2 田舎
花子
2024年11月21日 14:38
「お母さん どうしてこんな田舎に御嫁入したの」
ある日、潜り込んでいる布団の中で母に聞きました。
母の嫁入り先、つまり私の実家は、
山陰線の鈍行で京都駅から一時間以上汽車に揺られて、
下車した駅からバスで、今度は峠道を延々と上り、
頂上近くの隧道、つまりトンネルを超えて、
またどんどん下って行った、
日本海に通じる国道沿いの町で、昔は小さな宿場町でした。
あちこちの山間に田畑があり、
そこに小さな集落が点在している田舎でした。
「父の知り合いのお坊さんが、
『よい話』と言ってね、
わての嫁入り先の話をもってこられたんや」
母の父親は、すぐ現地に調べに行ったそうです。
まずその町の役場に、町の事情を聞くために入りました。
驚いたことに、
母の結婚相手の親が、
その町の町長だったのです。
二人は、話しているうちに意気投合して、
息子と娘の縁談を決めて帰って来たのでした。
国道沿いに二人の家を建て、
母が開業できるように、
待合室や診察室、薬局などを作ったそうです。
「わては、医者以外は何にもできないから、
お手伝いの『ゆきちゃん』と一緒に嫁入りしたんや」
と、母が当たり前のように言ったのには、
びっくりしました。
私の小さい時の、
やさしい『ゆきちゃん』は、
母の嫁入りについてきた人だったんだ、
とこの時初めて知りました。
父は柔道、剣道7段の強者だったのです。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月02日17:29
[077]〔吉田九一郎君〕p103-104[現代船井郡人物史]
[077] 〔吉田九一郎君〕p103-104
前船井郡會副議長
船井郡須知町字蒲生
殊に君は雄辯家にて
辯論と劍道は其長所とする所にて
普通は人一倍の吝者たるも
政治運動
特に論壇と劍術には多少時間と黄金を犠牲に供せり、
一年三百六十五日
一日も欠さず早朝床を離れて
分家せる吉田兵進氏を相手に
擊劍を練磨せる其膽力に徵して明かなり、
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月02日09:16
[101]〔吉田兵進君〕p134-135[現代船井郡人物史]
[101] 〔吉田兵進君〕p134-135
須知町長
船井郡須知町
氏は明治十六年二月二十一日生にて
同村吉田九一郎氏の實弟なり、
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