【学友会同窓会名簿 : 同志社女学校専門学部・
 同志社女学校高等女学部 昭和3年6月10日調】
出版者   京都同志社女学校学友会
出版年月日 昭和3
p1【同志社女学校専門学部:昭和3年6月10日調】
〔画像〕p1【同志社女学校専門学部:昭和3年6月10日調】
明治三十九年普通學部卒業生(二一名)
吉田(船越)里
京都府船井郡須知町
p39【同志社女学校専門学部:昭和3年6月10日調】
〔画像〕p39【同志社女学校専門学部:昭和3年6月10日調】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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桜子先生 6 二つの知識
花子
2024年12月13日 11:16
国道沿いの家に私は父や母、私たち子供、
お手伝いさんや看護婦さんと住んでいました。
祖父や祖母は、田畑が広がる在所で、
江戸時代から続く、大きな家に住んでいました。
父は9人兄弟で、父の一番下の妹は、
私の姉と6歳しか離れていませんでした。

祖母は、京都の同志社大学の前身で、
新島襄が京都で英語の学校を
始めた頃に学んだ卒業生でした。
つまり祖母は、
その時代の最先端の知識、
英語を身に着けた女性でした。
私の高校のころ、
「おばあちゃん、まだ英語覚えている。これ読んで」
と、高校の英語の教科書を渡しました。

祖母の時代から、
20年ほど遅れて生まれた母の『生き方』の違いに、
今更驚きます。
祖母は京都の田舎育ち、
母は大阪育ちで、
二人の育った環境も違いました。
母と祖母は、正反対でした。
二人とも若いとき、
当時の最先端の知識、医学や英語を学びましたが、
祖母はそれを恥のように隠し、
母は一生涯それを学び、活用した人でした。
祖母が本や新聞を広げているのを見たことありませんでしたが、
母は暇があると、取り寄せた専門書を読んでいました。
「ちょっとでも知ってると、
 一人でも患者さんを助けられるから」
「知らんということは、怖いことや」
と、母はいつも言っていました。

母の医院は、
祖父母の家から歩いて10分ほどの所でしたが、
祖母は、母に協力したり、
助けたりすることもありませんでした。
その必要もありませんでした。
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