【破竹五十年】1992
出版者 [破竹会]
出版年月日 [1992]平成4年
破竹五十年
海軍経理学校第八期補修学生
任官五十周年記念
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/3
「破竹」出版後二十年
吉國二郎
破竹が出版されてから二十年経った。
「破竹」は我々の戦争の記録であったから、
五十周年の今回の記録は、
戦後早々からの日本の社会、
経済再建の中の我々、
また大部分の者についてそれぞれが、
個人として家庭を形成して来た経過の報告でなければ、
繋がりがつかない。
私の報告は、
終戦後比較的早い(昭和20年)九月下旬に
(海軍省軍務局第二課)、
復員してから始まる。
(昭和20年)九月に大蔵省に帰って
(昭和20年)十一月に京都の下京税務署長を拝命した。
京都の東も西も解らない身で困惑した。
家が焼け、
友人阪谷芳直氏の家に厄介になっていた時、
幸に知り合った後藤英輔氏が
京都の家に母と兄、妹が疎開しているから
遠慮なく利用して呉れということで一安心。
三箇月ばかり世話になって
財務局の斡旋で小さな家を借りたが、
後藤英輔氏の妹の尚子と婚約整い
翌年(昭和21年)五月二十七日
海軍記念日に平安神宮でささやかな結婚式を挙げた。
媒酌は京大の汐見三郎先生御夫妻にお願いした。
現在、私は、七十三才、尚子六十六才、
長男真一、四十二才、(妻ゆり、男児二名)
日銀国際局国際収支課長、
次男浩二、四十才(妻三千子)
NHK経済部名古屋支局勤務、
三男裕三、三十八才(妻裕子、男児二名)
NTT通信研究所勤務ということで
家庭は一応形成されたと思っている。
その間、
日本経済は困難な戦後を米ソ対立の結果の
占領政策の転換によって切り抜け
昭和三十年代に入って、
第一回の五箇年計画以降急速な成長過程に入った。
(昭和)二十三年に本省に戻り、
泉山蔵相の秘書官を勤めた後、
主税局に配置され、事後、
大部分を税界勤務で過ごした。
役職の振出しは
昭和二十六年国税庁法人税課長、
以後
東京国税局長、證券局長(三箇月間)主税局長、
国税庁長官、事務次官、
昭和四十八年六月退官。
在任中は、
日本経済が毎年の政府の見通しを上回って成長、
それによって生じた自然増収を財源に
減税を中心に税制の整備をはかりつつ
民間に資金を還流することが出来た幸運な時期だった。
しかし、
昭和四十八年のオイル・ショックを契機に、
わが国をはじめ世界全体が大きな変動期に入って、
後輩の諸氏には、
大いに同情して健闘を祈っている。
退官後、
かつて横浜銀行伊原頭取から澄田次官を通じ
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/151
て要望があった
頭取就任話が再燃して、
昭和五十年十二月総会で頭取に迎えられた。
昭和五十一年地方銀行協会会長に選任され
昭和六十一年大倉真隆氏を頭取に迎え、
取締役会長に就任、
同時に地方銀行協会会長を辞任、
大倉頭取の急逝により現在の田中頭取を迎え、
昨平成三年取締役を辞任、
相談役となり取締役会の好意により
名誉会長の称号を認められ
今日に及んでいる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/152
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