【村上信二郎回想録】1978
出版者   村上信二郎事務所
出版年月日 1978.8
p3【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p3【村上信二郎回想録】1978
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  人間 村上信二郎を語る
    後藤英輔
もう七周忌と聞いて驚いている。
信二郎が亡くなってからの六年間は、
非常に激動の時代であっただけに、
あれだけの行動力、
実行力のある彼が生きていたならば、
どんな政治家になっていたであろうかと、
大変関心深いものがある。

それだけに、早く亡くなった事は、
誠に残念である。

信二郎と私とは、
中学後半、浪人時代、一高大学
と殆ど同じコースをたどってきた。

故にクラスメートとしても、
縁が深く、又、
愛媛と高知という土地の縁もあり、
友人との中でも、
関係が深い。

殊に浪人時代、一高時代、
同じクラスであったから、
彼の特徴を良く知っている。

彼と私は本質的に性格が違っている。
村上は健康で、スポーツマンで、
剣道部、運動部に入っていたが、
私はむしろ中学後期より一高、
大学時代と健康を害していた。
p28【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p28【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/28

ある意味では、
私は都会型で、
信二郎は反都会型であった。
p29【村上信二郎回想録】1978
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https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/29

孝太郎さんと殆ど同時に亡くなった事は、
地元の人も大変残念であっただろうと思う。
彼の冥福を祈る。
(公正取引委員)
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 故 村上信二郎略歴
大正7年11月27日
 愛媛県越智郡宮窪町大字宮窪二七〇八において、
 常太郎、正子の次男として生まれる。
大正15年4月
 広島県千田小学校入学(父の任地)
昭和6年3月
 千田小学校卒業
昭和6年4月
 広島県立第一中学校入学
昭和12年3月
 東京府立第四中学校卒業
昭和13年4月
昭和16年3月
 同校卒業
昭和16年4月 ※昭和17年10月
昭和20年9月
 同学卒業

昭和27年5月11日
 長男 誠一郎生まれる。

昭和46年9月8日
 兄 孝太郎死去(享年五十五才)
昭和47年8月26日
 死去(享年五十三才)
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 七回忌法要において挨拶する村上誠一郎氏
p126【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p126【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/126
   (非売品)
書 名 村上信二郎回想録
発行日 昭和53年8月26日
発行所 今治市別宮町2丁目4-2
    村上信二郎事務所
編集責任者 二宮早志
印刷所 森山印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/127
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