【岩崎革也年譜 (Discussion paper series ; no.2)】1993
著者 太田雅夫, 森本啓一 [著] [他]
出版者 桃山学院大学教育研究所
出版年月日 1993.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/1
岩崎革也年譜
-付 革也略伝・革也宛書簡一覧-
太田雅夫
森本啓一
1993年(平成5年)9月22日 受理
1993年(平成5年)10月13日 発行
編集発行 桃山学院大学教育研究所
〒545 大阪市阿倍野区昭和町3-1-64
TEL 06(621)1181(代)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/2
▲京都府船井郡丹波町須知の岩崎家
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/3
岩崎革也略伝
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/9
2. 非戦論と社会主義への共鳴
このようなときに、1903(明治36)年4月、
長女きぬを姻戚関係にある三輪田真佐子が
校長の三輪田高等女学校に入学させ、寄宿舎に入寮させた。
従来の岩崎革也研究文献は、
このとき一家を挙げて東京に移ったと
いっているが間違いである。
1903(明治36)年5月4日に茂三郎は革也と改名し、
ここに岩崎革也が誕生することとなった。
改名の動機は今となってはわからない。
ただ、読書欲旺盛な革也ゆえ、
当時出版されていた多くの社会主義文献は
購入し読むことによって、
この世の中を革(あらためる)めようという
気概があったのではないかと推察はできる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/10
4月、長男平造が京都二中を中退し、
東京でエスペラントを学ぶために上京するため、
東京市牛込区市ヶ谷加賀町2丁目33に一家を借入れた。
そして、
三輪田真佐子に長女きぬ、
三輪田真佐子に長女きぬ、
長男平造の保護を依頼したのであり、
革也の本拠地は依然として須知であったのである。
また翌年1908 (明治41)年12月20日頃には、
北は中国革命運動の軍資金獲得のために
須知の革也宅を訪れたが、
革也病床のため大黒屋に宿泊し、
革也の姉と長女が応待した。
しかし不首尾に終わった。
大黒屋の用箋と封筒を使っての、
病床の革也宛書簡で明らかになった。
1907(明治40)年4月頃、
革也は再婚するが入籍はしていない。
妻は登美子 (35歳)で初婚、
17年間京都市高等女学校教諭として
勤務していた女性である。
その結婚生活の様子は、
革也の招きで「世界婦人」の福田英子が、
岡山への帰省の途中10月中旬に
数日間革也宅に滞在したときのことを、
「世界婦人」第20号(1907年12月15日)の
「旅行中の色々 (一)」で紹介している。
このとき福田は、革也宛の為書きのある
田中正造の書3幅を持参した(口絵写真参照)。
この頃は、もっぱら革也は『世界婦人」に消息をのせ、
福田との交友を深めていった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/11
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年12月09日 06:25
[大黒屋:京丹波町須知]
宿場町の顔だった築350年超の建物を調査・
京都新聞2022/12/8
同町の政治家で、著名な社会主義者との交流で知られる
岩崎革也(1869~1943年)も
大黒屋をひいきにしたとされ、
二・二六事件(1936年)の黒幕とされて処刑された
北一輝も滞在したという。
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