【岩崎革也年譜 (Discussion paper series ; no.2)】1993
著者 太田雅夫, 森本啓一 [著] [他]
出版者 桃山学院大学教育研究所
出版年月日 1993.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/1
岩崎革也年譜
-付 革也略伝・革也宛書簡一覧-
太田雅夫
森本啓一
1993年(平成5年)9月22日 受理
1993年(平成5年)10月13日 発行
編集発行 桃山学院大学教育研究所
〒545 大阪市阿倍野区昭和町3-1-64
TEL 06(621)1181(代)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/2
▲京都府船井郡丹波町須知の岩崎家
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/3
岩崎革也略伝
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/9
3. 特別要視察人と家族たち②
1911(明治44年)
9月には長男平造は、
早稲田大学政経学科に入学したが、
現住所福田英子方、保証人逸見斧吉は変っていない。
しかし、間もなく、
石川三四郎が横浜市根海岸芝生に転居することによって、
福田英子一家も横浜に石川と共に住むことになり、
平造は牛込区市ヶ谷薬王寺前町に下宿することになった。
革也は、10月15日に隠居届出をし、
大学生になった平造に家督相続を行なっている。
翌年の1912(明治45・大正1)年に特記すべきことは、
6月28日に、
堺・高島米峰らが発起人になって
「ルソー生誕 200年記念会」が行なわれ、
記念晩餐会は約40名の有志が集まり
神田淡路町の料亭多賀羅亭で開催され、
会費は無料でこの費用130円は
革也が拠出したものであった。
後年、発起人の1人高島米峰は、
「革也さんのお陰で、
初めて高級なフランス料理を食べさせてもらった。」
と語っている。
記念講演会は神田美士代町青年会館で開催され、
三宅雪嶺ら 500人が参加し、
ルソー生誕の記念を兼ね兆民・秋水幸徳を偲ぶ会ともなり、
多くの社会主義者たちも参加した。
革也にとって、
1912(明治45・大正1)年
6月9日は父藤三郎の17回忌、
6月25日は母くまの7回忌、
さらに祖父儀左ヱ門の37回忌にあたるが、
この法事をやめて、費用を提供したのである。
当時の「読売新聞」(1912年6月29日)には、
「200年の後に日本人の法事の費用で
自分の記念会が催されるとは定めてルソーも
思ひ及ばなかった事であろう。」と報じられている。
この年は、明治天皇の「崩御」と大正天皇の「即位」という
歴史的なエポックにおいて、
わが国の民衆はなんとはなしに
新しい時代の潮流を感じとっていた。
大正と改元された年の12月に
第2次西園寺内閣が総辞職に追い込まれ、
第3次桂内閣が成立することに端を発して
第1次憲政擁護運動が展開された。
民衆の力で桂内閣を倒したという点で、
日本の近代政治史上に特筆すべき事件であった。
その中心人物が犬養毅・尾崎行雄で、
当時憲政の神様といわれた政治家である。
その犬養毅が、再び革也宅を訪れたのは、
1913 (大正2) 年の秋であった。
そのとき、
犬養は革也宅の寄書帳の表題に
「情往興来帖」と名付けて揮毫する。
さらに革也の求めに応じて、
公会堂のために、
「題須知公会堂壁」と為書きして揮毫した。
その掛軸は今なお公民館に掲げられているが、
その由来を知る町民は今では数少ないであろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13265411/1/13
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月03日13:44
岩崎平造 須知本町:【早稲田大学校友会会員名簿】
【早稲田大学校友会会員名簿】[第1冊]大正4年11月調
大学部 政治経済学科 p41/189
大正3年 得業 p50/189
岩崎平造 京都 京都府須知町須知本町 p50/189
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