【保健体育学研究 (2)】1974-03
著者 関西学院大学 編
出版者 関西学院大学
出版年月日 1974-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/2264044/1/1
関西学院スポーツ史の研究(Ⅲ)
ベースボールの芽生え 米田 満
https://dl.ndl.go.jp/pid/2264044/1/34
倶楽部作りの風潮
明治30年の春に作られた倶楽部のうち、
主なるものとしては
幼年、共和、体育、兵庫、敏馬の五つがあった。
このうち
「兵庫」は兵庫在住の商業生徒が作るもの。
「敏馬」は関西学院内の同好グループであり、
五つの倶楽部の中の二強であった。
この兵庫、敏馬は春以来、
勝っては挑み、負けては復讐し、
という具合で盛んに試合を重ねていたが、
最後に勝を占めた敏馬に対して
神戸中学の二年級を中心とするチームが挑戦してきた。
時は(明治30年)7月初旬、
場所は居留地であった。
その日の選手はつぎの通りであった。
(敏馬倶楽部)
大松(中堅) 小森(右翼) 田丸(左翼)
酒井(三塁) 大上(二塁) 鈴木(一塁)
泉谷(遊撃) 水野(捕手) 後藤(投手)
(神戸中学)
小林(中堅) 安藤(右翼) 高見(左翼)
木下(三塁) 土肥(二塁) 岩松(一塁)
石丸(遊撃) 竹崎(捕手) 石田(投手)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2264044/1/36
この敏馬倶楽部のメンバーは姓のみ分って
名前の方は不明である。
このうち「酒井」は普通部、
明治31年卒の酒井良太郎であると思われるが、
決定的ではない。
同級生の小川陽一が
酒井良太郎のベースボール党なることを
指摘しているところからの推測である。
同窓会名簿にはこの酒井良太郎ひとりがあり、
他の8名の名前はない。
ただ当時の入舎願をみて、
酒井良太郎(明治27年9月入舎)
後藤政太郎(明治28年入舎)
小森 栄吉(明治28年10月入舎)
大松 善吉(明治29年4月入舎)
田丸 宗一(明治30年4月入舎)
泉谷 祐勝(明治30年春入舎、2年)
大松 善吉(明治30年5月入舎、 1 年)
などの名があるので、
これらの人々ではなかろうかと想像するのみである。
このうち、大松善吉の名が2回出てくるが、
大松は落第して明治30年春、
再び一年生であったのだろう。
ただこの中で
「泉谷」だけは多くの人々の言によって
「泉谷祐勝」だと断言できる。
泉谷祐勝はいうまでもなく、後年、
早稲田大学の名選手となり、
明治38年春、初めてアメリカに遠征して
日本野球史を飾る一員となった。
彼は明治29・30年は関西学院在籍、
明治31年に県商に転校、
明治32年春、今度は神戸中学三年に転じ、
ここで神戸中学の名手として対外人戦に活躍した。
卒業後、明治35年、早大に入学、
その秋から野球部に投じて
明治20年以来の一高時代に終止譜を打たせ、
早慶時代を開く中心選手となった。
その弟、佐々木勝麿は神戸中学から慶應に進み、
兄弟そろって名手の名をほしいままにした
神戸球界の元老である。
なお、中学の遊撃「石丸」は
のちの神戸銀行頭取、岡崎忠雄氏である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2264044/1/37
昭和49年3月25日 印刷
昭和49年3月30日 発行
郵便番号 662
兵庫県西宮市上ケ原1番町1番155号
編集兼 関西学院大学
発行人 塩谷 滋
兵庫県尼崎市北大物町25
印刷所 尼崎印刷株式会社
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