【山本覚馬】昭和3年
著者    青山霞村 著
出版者   同志社
出版年月日 昭和3
p2【山本覚馬】青山霞村 著 昭和3年
〔画像〕p2【山本覚馬】青山霞村 著 昭和3年

   京都府顧問

山紫水明の古都に
西洋開化の新文華を煥發せしめた者は
槇村正直と吾が
山本覺馬先生であつた。

明石博高や雇外人などの知識も
忘れてはならないのである。
一體吾が山本覺馬先生の智慧の源泉は
何處にあつたかと尋ねるに、
それは先生の蘭學と親善であつた
雇外人の知識とで
先生はそれらから得た知識を
博大な思想と高邁な識見によつて判斷し
適用されたのである。

先生は盲目であつたから
話相手に
佛人ジユーリ、
獨人レーマン
米人ウイード ※ジェームス・オースチン・ウィード
英人ボールドウインなどが
常に先生の宅に出入してゐた。

娼妓に課税して府に莫大な収入を得たのは
リユドルフ・レーマンが
先生に話したのが實現されたのである。

  牧畜場 農學校 養蠶場 栽培試驗所
また同年(明治9年)十月
丹波船井郡須知村蒲生野に
農牧學校をさへ創立し、
米人ウヰードを聘して敎師に任じ、
廣く生徒を募集し、
蕃殖、搾乳、原野開墾等を指導敎授せしめた。

  家庭と講帷 晩年

妹八重子は故郷會津で白虎隊の少年に操銃を敎へ、
會津籠城の辛酸を嘗めた人である。

新嶋先生に嫁するまで八重子は女紅場
卽ち今の府立第一高等女學校の舎監となり、
同時に生徒の蠶桑の事などを敎へて居つたが、
急進主義の兄覺馬先生の感化から英語を學び、
頭髪を洋風にし履物は西洋靴にした
當時代表的の新しい女であつた。

昭和三年十二月十五日印刷
昭和三年十二月二十日發行
定價金貳圓
著 者 靑山 霞村
發行者 廣瀨重次郎
    京都市上京區室町上立賣下ル
    裏築地街九十三番地
印刷者 北牧 嘉一
    大阪市港區八幡屋元町二丁目二百十五番地
發行所 同志社
    京都市上京區新北小路町六百拾貳番地
    電話 上四三〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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